是は神代の頃、
波浮の港に、二子のをみなご波に打上られき。
あたりの者等、寄来りてこれを見れば、玉如す美し。
をみなご等の言へらく、
「妾等は昏き水底の根家より、禁を破りて逃げ来りし卑奴羅なり。
故、昏き水底の根家に坐す大祝、禰呉吽、大く忿怒りたまひて、深き者等を遣りて妾等を追はせ給う」
と曰しき。すなはち憐れに思ほえて、これを窟にかくまひき。
やがて日暮れて後、港より、姿甚奇しき凶しき者らの出来き。
此は昏き水底の根家より客来りき深き者等なり。
あたりの者等、深き者等のをみなご等を求ぐを知りて、これを窟に導きき。
深き者等、窟にをみなご等の隠れたるを見て、大く猛り惑ひき。
すなはちあたりの者等、深き者等を打ち殺しき。
故、窟に嘗殿を造り、殺さえし深き者等の身を捧げば、昏き水底の根家の大祝、禰呉吽顯れたまひき。
昏き水底の根家の大祝、禰呉吽曰りたまひしく、
「禁破りて逃げ出きをみなご等の咎を、吾ここに赦さむ」
とのりたまひき。
また曰りたまひしく、
「をみなご等の遠き末裔、昏き水底の根家に帰り来む。
汝等その筋をな絶やしそ」
とのりたまひき。
是、禰呉吽教縁起也。