イントロダクション2 “Adagio for Summer Island”

(推奨BGM:伝承)

 寮会の仕事が終わったのは、夕方だった。
「お疲れ様、直枝」
「お疲れ様、二木さん。今日も随分と捗ったと思うけど」
「そうね……」
 二木さんは、少し考えてから、言った。
「1週間くらい休みをもらっても、大丈夫なくらい捗ってはいるわね」
「ええ、そんなに?」
 随分前倒してるとは思ってたけど。
「自分の進捗管理くらいしなさいよ。基本でしょ」
「うーん……そこは、二木さんに頼りっぱなしだったからね」
「頼ってもらうのはいいけど、こっちから見て、もう少し頼りがいがあるようになってほしいわね」
「うん……努力するよ」
「ま、いいわ。慣れない仕事を、随分頑張ってるのは知ってるから」
「本当に、休みを取ってもいいわね」
「休み、か……」

 休みと言っても……僕には戻る場所があるでもない。
 両親とは幼い頃に死別しているのだ。
 仲間は皆、葉留佳さんを除いて実家に戻っている。
 夏休みなのだから、当然だ。
 その葉留佳さんも、沖縄のサマースクールに参加していて、今この寮に残っているのは、仲間内では僕と二木さんだけだった。

「そっか」
 二木さんは、ぽつりと言った。
「直枝も、戻る場所、ないんだったわね」
「まあね」

 『直枝も』、か。
 二木さんも葉留佳さんも、『お山の家』が戻るべき場所とは考えていないだろう。

「でも、二木の家は?」
「二木の家は好き。だけど、なんとなく、こっちのほうが落ち着くのよね。直枝もいるし」
「それは、光栄だね」
「そう思いなさい」

 二木さんの言葉は、その内容とは裏腹に、ひどく優しかった。

「……そうね。直枝?」
「何?」
「ちょっと……相談したいことがあるの。夕飯の後、いい?」
「相談? いいよ。役に立つかは保証の限りじゃないけど」
「ありがとう。それじゃ、部室でね」
「うん。また」

 
 夕食は毎日、寮長とクドが作ってくれている。
 寮長は家庭科部長だし、クドは家庭科部員。
 僕と二木さんは、そのご相伴にあずかっているというわけだった。
 もっとも、作る側としても、人数が多い方がいいらしいから、お互いに楽をしていることになる。

 夕食が終わって、ゆったりとしたひととき。
 二木さんが、ふとこちらを向いた。

「で、直枝。さっきの、相談なんだけど……」
「うん」
「なになに、何の話?」
「二木さんが、何か相談があるって……」
「相談? 何の話でしょうか……?」
「あたしたちがいる前でいいの? 内緒の話だったら……聞きたいような、聞きたくないような……」
「そんな、いい話じゃありませんよ。それに、寮長とクドリャフカにも話を通しておきたいし」
「あら、あたしたちにも関係がある話?」
「わふー……何のお話でしょうか……」
「実は少し、実家……『お山の家』に顔を出してくることになって」
「『お山の家』に……?」
 雲行きが怪しい話だ。
「それは剣呑ね」
「わふー……」
 2人とも、『お山の家』の騒動はよく知っている。
 楽しからざる話だってことは判ってくれているはずだ。
「父さんが『お山の家』にいるのは、たしか話したわよね」
「うん。晶さんだよね」
「そう。その父さんから、島に来てほしいって連絡があったの」
 島……つまり三枝家、『お山の家』のことだ。
「それは……何かあった、ってこと?」
「いえ……タチの悪いのは、みんな検察で取り調べを受けてるわ。『お山の家』に残ってるのは、まず善良といっていい人たちよ。基本的には」
「でも、呼び出しなのよね?」
「ええ。父さんはずっと『お山の家』にいなかったから、判らないことも多いと思う。何かの手助けが必要なのかもしれない」
「で、かなちゃんは行くの? その『お山の家』に?」
「危険はないんですか、佳奈多さん?」
「一応は収まったとはいえ、あの事件の後では……」
「そうそう。ちょっと危ないんじゃない、かなちゃん?」
「父さんを放っておくわけにもいかないですし。危険があるなら、私を呼ぶことはないでしょうしね」
「わふー……」
「とにかく、その間、寮会の仕事をあーちゃん先輩に頼めないかと思いまして。直枝ひとりだと、まだ不安もありますから」
「うーん。私は別にいいけど。でも、直枝君、いいの?」
「え?」
 突然に話を振られ、言葉に詰まった。
 あーちゃん先輩が言わんとすることは……判った。
 その顔は、珍しく真剣だ。
 だが、その権利があるものか。
 一瞬、沈黙が降りた。
 二木さんが口を開きかける。
 刹那、構うまい、と思った。
「クド」
「あ、はい?」
「あーちゃん先輩だけだと、さすがに大変だろうから、少し手伝ってあげてくれないかな。帰ってきたら、ロケットの手伝い、するから」
「は、はいっ」
 クドは大きく目を見開いて、それから両手をぐっと握り締めた。
「留守は任せてくださいっ。佳奈多さんと理樹の代役、立派に果たしてみせます!」
「決まりね!」
 あーちゃん先輩が、うんうん、と頷く。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 二木さんが慌てて叫んだ。
「なあに、かなちゃん?」
「一体何の話をしているんですか。私は、留守を直枝に任せるのが心配だから……」
「だから、2人で行ってらっしゃい、って言ってるじゃない。何日なのか訊いてないけど、1週間くらい、能美さんと私でなんとでもなるわよ」
「そうですよ。なんなら、氷室さんにも手伝ってもらえばいいですし」
「そうだね。後で何を請求されるか判らないけど……」
「大丈夫ですよ。氷室さん、ああ見えて面倒見がとても良いですから」
「そういうことじゃなくて!」
「かなちゃん?」
 あーちゃん先輩が、諭すような声色で言った。
「何でもひとりでやろうとするのは、かなちゃんのよくないクセよ。前よりはよくなってきたけど、でも、まだまだね」
「あーちゃん先輩……」
「直枝君を連れて行きなさい。そうしたら、後の面倒は全部見てあげる」
「条件、ですか?」
「そうね〜」
 悪戯っぽく笑う。
「それじゃ、仕方ありませんね、佳奈多さん」
 クドは喜色満面といったふうだ。
 2人の顔を交互に眺めると、二木さんは、はあ、とひとつため息をついた。
 そして、僕の方に目線を向けると、憮然として言った。
「いいの、直枝?」
「もちろん。言い出したことだし、あーちゃん先輩もそう言ってる」
 業務命令だから、という体をとってみた。
 二木さんには、こういうのが効く。
「仕方ないわね」
 あーちゃん先輩の方に向き直る。
「多分、1週間もかからないと思いますけど……その間、お願いします」
「はいはい、任しときなさい!」
「えぶりしん・いず・おーけい、なのです」
 そのクドの言葉に、やれやれ、といったふうに、二木さんはようやく笑った。

 
 帰り道。
 日も暮れて、満天の夏の夜空。

「それで、仕事を急いで片付けてたんだ……」
「そうね。直枝には先に言っておいた方がよかったかも知れないけど……ちょっと、難しい話だし」
「大丈夫、判るよ。それに、ちゃんと相談してくれたから」
「……」
 二木さんは、少しだけ黙り込んだ。
「昔の私だったら、意地を張って一人で行ってたわ。それが出来なくなったのは、弱くなったのかしらね。誰のせいかしら」
「……昔の独りの二木さんより、今の僕たちの方が強いよ。そう思う」
「僕たち?」
 二木さんは、くすりと笑う。
「じゃ、ずっと一緒にいてもらわないと、困るわね」
「そうだね……計算上、そういうことになるかな」
「まったく……」

 二木さんは、ちょっと息を吐くと、空を見上げた。
 大三角が浮かんでいた。
 夏の夜――だった。

 

 

 
 その二日後、僕たちは、北門島の小さな漁港、波浮港にある三枝家……『お山の家』に向かうことになる。
 僅かばかりの警戒はあったにせよ、そこに何が待っているのか、あの時の僕たちに知る由はなかった。