二木さんわふーっ!

「ところで佳奈多さんは、何か楽器はやらないのですか?」
 家庭科部での夕飯のあとの、ゆったりとしたひととき。
 クドがそんなことを聴いた。
「楽器?」
 少し意表を突かれた顔で、二木さんが問い返す。
「そうなのです。今日の演奏会のことを思い出していたら、ふと頭に浮かびまして」

 僕たちは今日、西園さんの知人が出演するという演奏会を聴きに行っていた。
 Spring Pouch管弦楽団というオーケストラで、演目は知らない曲ばかりだったのだけれど(まあ、僕が知っているクラシック曲なんて、たかが知れている)、軽妙な掛け合いに重厚な盛り上がり、緩急のついた演奏は僕の心にも響くものがあった。

 ちなみに西園さんなんかは、
「あの掛け合いはまさに――総受け――」
 なんて顔を赤くしていた。
 聞かなかったことにしよう。よぅし。

「――楽器ね。出来ないことはないけれど」
 二木さんは煮え切らない口調で言う。
 三枝家二木派の箱入り娘として育てられた二木さんだ。
 それくらいの一芸は、そりゃあるだろうし、思い出したくないのもなんとなく判る。

 が、クドはというと目を輝かせて(知らないのだから仕方ない)、
「わふっ。どんな楽器ができるのですか?」
 と話題に食いついた。二木さんは、一つ咳払いをすると(気を取り直すときの二木さんのクセだ)、淡々と言う。
「琴よ」
「わふーっ、お琴ですかっ! べりーえきぞちっくなのですっ!!」
 一方のクドは、それこそわんこ((C)三枝葉留佳)のように飛び跳ねた。
 その『わふーっ』はいつものクドギャグ。無意識なのか。そうだと思いたい。意識的だとすればそれはオヤジギャクにカテゴライズされる何かだ。

 クドのハイテンションは続いている。尻尾を振りまくる勢いだ。
「佳奈多さんっ、お琴の演奏を聴かせてもらえませんかっ?」
 リクエストに、二木さんは今度は目を丸くする。
「演奏って……聴かせるほどのものじゃないわ」
「佳奈多さん謙遜ですよっ」
「それに、そもそもそれは無理なことよ。ここには、琴がないわ」
 そのとき――!!
「話は聞かせてもらったわ。人類は滅亡する――じゃなくて、こんなこともあろうかと!!」

 突然に襖が開いて、部長がリングに乱入してきた。
 カーン!! ゴングが鳴る。
 しかし、一方の対戦者、二木佳奈多は随分やる気がなさそうだ。

「あーちゃん先輩はこんな時間まで元気ですね……」
 辟易しつつ嫌味を込めて言う二木さんに、部長は大にっこりだ。
「かなちゃん、この和室は、そもそも何のために作られたか、知ってる?」
「和室……?」
 二木さんは一瞬首をかしげたが、そのまま硬直した。
「ふふーん、判った? そういうことなのよ」
「まさか部長……」
 恐る恐る声をかける。部長はそれに、満面の笑みとサムズアップで応えた。
「あるのよ……お琴が!」

 部長曰く、この部屋は元々、箏曲部と茶道部のために作られた部屋らしい。
 それが人員減で廃部になって以来、家庭科部が部室として使っている、らしい。

「そういえば、ここは中を見たことがありませんでしたね……」
「まだまだね、かなちゃん。寮会の仕事は無限に広がる大宇宙のように広いのよ?」
 言いながら、部長はポケットから鍵を取り出し、家庭科部室の隣の倉庫の鍵穴に差し込む。がちゃりと回すと、鍵の外れる音。
「……」
 部長が静かにドアを開けると、一行無言で、その隙間からこわごわ中を覗く。
「わふー……」
 クドが感嘆の声を上げる。
 廊下から差し込む光だけに僅かに照らされたそこは、ほとんど旧家の蔵といった風情の一室だった。
 一段高い畳敷きに、長持ちやら文机やらが並んでいて、一見して骨董品と判るものたちが雑多に置かれている。
「ま、随分と使ってないから、いつか掃除しなきゃいけないんだけどねー」
 あーちゃん先輩は軽くそういうと、ぱちりとスイッチを押した。
 天井から下がっているのは、なんと白色電球の二股ソケットだ。
 圧倒的なレトロ空間だった。

 そして、その中の一点を、二木さんがじっと見ていた。
 一面の琴が、静かに佇んでいた。



 家庭科部室に琴を運び込むと、二木さんは静かに、一通りの手入れをしていった。
 時の流れの中に忘れ去られてしまったそれに、何かしらの想いを抱いたのか、その手つきはひどく優しげだ。
 その様子を、クドや部長も黙って見守っている。
 二木さんの所作自体が、既に何か、舞台の上で演じられている物語のようにも見えた。

 やがて手入れが終わると、二木さんは琴の前に座ると、居住まいを正した。
 そして、右手の指に爪を嵌めると、ふっと息を吐いて、そして音楽を奏でだした。


 演奏が終わって、クドが、わふー、と息をつくと、ふっと空気が入れ替わり、いつもの家庭科部室が戻ってきた。
「いやー、さすがかなちゃん、才女ねえ」
 部長が驚きの歓声をあげる。
「それほどでもないです」
 二木さんは相変わらず淡々と言うが、その顔は柔和だった。
「……とてもよかったよ」
 僕はそれだけ言うと、二木さんは急に顔を赤らめた。そして、
「直枝がものを知らないだけよ」
 とぶっきらぼうに言う。
「まァたかなちゃん、照れちゃって」
 部長がからかうと、二木さんはそれには応えず、つと立ち上がった。
「せっかくだから、お茶でも淹れましょうか」
「おおっ」
 意外、とでも言わんばかりに部長が声を出す。
「不満ですか?」
「いや、かなちゃんのお点前は非常に結構だと思うけど……なんで突然?」
「そんな気分の時もあります」
 二木さんは淡々と言うと、茶箪笥から茶器の一式を取り出す。

 もちろん僕たちは茶道の作法なんて知らないのだけれど、二木さんに言わせれば
「ゆっくりと静かに味わう、それだけよ」
 とのことだった。
 3人分のお茶を点てると、二木さんはまた琴の前に戻った。
 僕、クド、部長の3人は、卓袱台を囲んで、それを頂きながら、二木さんの演奏に聴き入った。
 窓の外では、気の早い秋の虫が鳴き始めていて、月が空にあった。
 二木さんの言葉が、ふと脳裏を過ぎる――

『ゆっくりと静かに味わう、それだけよ』

――そうか。僕は気づく。
 お茶だけじゃなくて――か。
 自然と頬が弛んだ。
 ゆっくりと静かな、素敵な夜だった。


わふーっ!

そんなわけで、Autumn Leaf管弦楽団さんの演奏会に行ってきたのです。Autumn Leafとは「秋葉」のことで、要するにエロゲーの曲をオーケストラで演奏するという素敵団体です。そのクオリティもまた異常なのがすごい。

作中の「Spring Pouch」は「池(泉)袋」で、要するに西園さん的なアレなアレで、Autumn Leafさんとは同志でありながら相容れない、悲しい関係なのでしょう。きっと。


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