耳掃除だよ二木さん!(←『大晦日だよドラえもん!』風に)

「どうも左耳がごそごそするんだよね……」
「ふうん。耳掃除でもすれば?」
 書類を捲る手を休めず、いつも通りに、我関せずといった風情の二木さん。
「いや、それがさ、結構しっかりやってるんだよ。ここ最近は特に」
 そう言うと、二木さんは初めて顔を上げた。
「どのくらい?」
「え?」
「頻度。どれくらい耳掃除をしているの?」
「ええと……」
 ちょっと考えて、
「そうだね。風呂上がりに毎日、プラスアルファ、気になったときに」
「なるほど、それが原因よ」
「?」
 淡々と言って二木さんは、書類のはしをとんと揃えると立ち上がり、書類棚のクリアファイルに仕舞った。
 そのまま給湯器に向かうと、茶葉を急須に入れ、お湯を注いだ。
 僕は立ちあがり、二人ぶんの湯飲みを持って机に戻る。
 二木さんは、急須を机に置くと話し始める。
「耳掃除、どういうふうにしてる?」
「ええと……綿棒で、こう、普通に」
「痒い?」
「そりゃ、ねえ」
「……」
 二木さんは少し考えていたようだったけれど、つと立つと、戸棚から救急箱を取り出した。
 そして中からライトとピンセットを取り出すと、左隣の椅子をぽんと叩いた。
「こっちに来なさい」
「え?」
「看てあげるわ」
 な、なんだって――!?
 硬直した。
「何してるの?」
「あ、いや……」
 ぎこちない動きで二木さんの隣に座る。
 対して二木さんはすっと目を細めて、
「そうじゃなくて」
 ぽんぽんと彼女のふとももを叩いた。
 やはりこれは――
「――ひ、膝枕!?」
 声が震えた。
 膝枕で耳かき――何という甘美な響きか――!!

 だが、二木さんの声は冷徹だった。
 手に持ったピンセットをかちかちとやると、
「言っておくけど、綿棒じゃないわよ。先が尖っているから、迂闊に動けば鼓膜が破れるわ」
 言って、哀れむような視線で僕を見やった。

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 右の頬の二木さんの太ももの感触。
 それだけでも卒倒しそうなのに、その反対側、左耳には、冬の空気の温度の、冷たい金属の尖った感触。
 その二つの感触のハーモニーは、厭が応にも二木さんの柔らかいそれをより一層引き立てて――

「動かないで」
 声とともに、鋭い金属が耳の内側をなぞる嫌な感触がした。

――現実は非情だった。自分をだまくらかすのも、それなりに限度があるということを、僕は思い知った。
 太ももどころの騒ぎではない。
 鼓膜の近くにピンセットがあると考えただけで――下品な言い方だが――キンタマが縮み上がった。

「ちょっと痛いわよ」

 二木さんがいうと、次の瞬間、鈍痛が走った。耳の穴がぎりぎりと押し広げられたのだ。

「ちょ……二木さ「危ないから動かないで」

 危ないのは何処の誰だ!!
 思ったが僕は俎の上の鯉だ。
 口をぱくぱくさせて言葉が出ないあたりがマジで鯉だった。
 そして、僕は僕の中の男の子のロマンの重要なひとつが、ぼろぼろと音をたてて崩れ去っていく光景を幻視した。
 フォーエヴァー、僕の膝枕耳掃除よ永遠に!

 永遠とも思える数瞬が過ぎ去って、痛みがすっと引いた。
 ふう、とため息が聞こえる。
「ふ……二木さん……?」
 恐る恐る声を出す。
「もう動いていいわよ」
 言われて、肩の力がふにゃりと抜けた。どんだけ緊張してんだ僕は。いや膝枕なんだからあながち間違いじゃないハズなんだけど、この悲しみは何だ。
「要するに」
 二木さんは淡々と解説を始めた。
「耳掃除のしすぎね、直枝は」
「……?」
「綿棒は、確かに耳垢を取る効用もあるけど、耳垢をかえって耳の奥に押し込んでしまうこともあるの。耳掃除って気持ちいいからクセになるのは判るけど、痒いのが気になって毎晩耳を弄っていたら、それはこうなるでしょうね」
「こう?」
「耳の奥に、固まった耳垢がいくつも。ごそごそって音がしない?」
「そういえば、たまに……」
「やれやれ」
 二木さんが肩をすくめる気配がした。
「鼓膜の近くに転がってる塊があるのよ」
「とって……くれたの?」
「まさか」
 馬鹿じゃないの、と言わんばかりだ。
「こう云うのは耳鼻科に取って貰うのが一番。素人がやると、それこそ鼓膜が破れるわ」
 ぞわり。
 先ほどの金属の感触を思い出して、マイキンタマが再び縮み上がる。
「そ、そうするよ……」
「それがいいわ。それにしても直枝、左耳がこれだけの状態だと、右も結構大変なことになってるかも知れないわ。自覚症状は?」
「ううん……左ばっかり気になってて、右は余り……」
「相対評価じゃ意味がないわ。右も見てあげる」
……右も!
 金属が! ああ金属が……!!
 悲鳴を上げかけたが、しかしそこで僕は気づいた。
 クエスチョン:左耳を看て貰っている態勢で、そのまま右耳を看て貰うには?
 アンサー:寝返りだ!
「そ、それじゃあ……」
 言っていそいそと態勢の変更を試みて――その左頬がむぎゅうと押さえつけられた。
「……二木さん?」
 恐る恐る問いかけると、頭の上の方、二木さんの右隣で、ぽんぽん、と音がした。
「直枝、こっちに座り直しなさいね?」
 優しげだが、妙に迫力のある声がした。
 いわゆる目だけ笑ってない声だ。
 僕は無言でかくかくと頷く。
 この人は怒らせたら恐ろしいと、僕は知っていた。

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 そしてその後の右耳チェックと来たら――いや、あれは思い出すだに恐ろしい事件だった。
 ので、読者諸賢にお話しするのは、今日はここまでにしておこうと思う。その方が幸せだって、絶対。


耳鼻科に行った実体験を元に。

この甘くなさが二木さんの魅力なのですヨ?


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