剣を振るう、あるいは『リトルバスターズにようこそ!』

 寮会の買い物は、直枝と行く。
 あーちゃん先輩達から寮長の役職を引き継いでからも、ふたり、それは変わらない習慣だった。

 一通りの買い物を終えて学校に戻る道すがら、夕暮れには早すぎる堤防を歩いていると、見知った姿が、見下ろす河川敷を走っていた。
「あ、謙吾」
 直枝もそれに気づいたか、声を上げて手を振った。宮沢謙吾、男子剣道部のエース。美男子で女子にも人気がある。ただし、文武両道と褒めるには些かネジの飛んでいるところがある男だ。
 宮沢もこちらに気づいたか、コースを変更して、ゆっくりと堤防に駆け上ってくる。
「買い出しか? 寮長も大変だな」
 息ひとつ乱さず、宮沢は云う。
「邪魔しちゃったかな?」
「いや、この程度で呼吸が乱れるようでは、修行が足りないというだけのことさ」
 この男が言うと、妙な説得力がある。
「真人たちは?」
「三角ベースが終わって、ちょうど休憩の時間だ。その合間に、少しランニングをと思ってな」
 ということは、葉留佳がクドリャフカを追いかけ回していると云うことか――いや、それはゲーム中も変わらないだろう。それにしても、
「……あなたたちも飽きないわね、宮沢?」
「俺に言わせれば、二木、」
 宮沢が私の方に向き直る。
「部屋に籠もって書類整理とハンコで放課後が終わるなんて、そっちのほうが信じられないぞ。それこそ、よく飽きないものだ」
「そこは人それぞれね」
 私の中立的な発言に、何故か直枝の方をちらりと見て、宮沢は笑った。
「ま、理樹と二木はいいコンビだと思うけどな」
「だといいんだけどね」
 さらりと流すと、宮沢は少しだけ驚いた顔をした。そして、考え込むようにして腕を組んだ。
「どうしたの、謙吾」
「いや……」
 言葉を濁して宮沢は、私の顔をまじまじと見た。
「な、何よ……?」
「なあ、二木……それに理樹」
「だから、何?」
「このあと時間、あるか?」

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 寮長室の片隅に放りっぱなしになっていた段ボールを開けて、剣道衣に袴、防具一式を着ける。その感触はさすがに、懐かしい、と表現しうるものだった。
 竹刀を持って、静かに息を吐くと、心なしか空気が引き締まったような気がした。そのまま剣道場に入る。

 この場所に来るのは、もうひと月以上ぶりのことだった。
 郷愁とまでは云わないけれど、かつて私が属した場所に対するそれなりの愛着というものが、私自身の中にも残っていることに、少し驚いた。

 それなりに広いその空間にいるのは、直枝と宮沢のふたりだけだった。剣道場のすみの方に座り込んでいる。
 直枝は声には出さないものの、興味津々といった風にこちらを見ている。私のこの姿を見せるのは、今日が初めてだ。
 一方宮沢は、面の向こうで
「結構、様になってるじゃないか」
 とだけ云うと、すらりと立ち上がる。

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 礼、帯刀して三歩で竹刀を抜き、蹲踞の姿勢。審判もない、申し合わせたように呼吸があって、ふたり、そのまますっと立ち上がった。そこから試合は始まったが、どうにも勝手がわからなかった。

 だいいち、私は宮沢に手合わせを請われただけで――というか押し切られた形であって、要するに積極的に打ち込む動機がない。
 困った――などと、明らかに場違いな感想が脳裏を過ぎる。

 そのとき、

 すう――っと私の右足が動いた。
 動いてから、私が右足を動かしたことに気づいた。
 宮沢と私の位置関係が、反時計回りに少しだけずれていた。
 奇妙な感覚だった。
 今のは、どちらだ。
 どちらだ、というのは、果たして私が宮沢に対応して位置を変えたのか、それとも、真実はその逆なのか、私自身が判らなかったのだ。

 また、

 右足がすっと動く。宮沢との相対位置関係は僅かにずれるが、これもまた一体、私が意識していない動きなのがひどく不思議だった。
 その視界の端で、直枝が呆気にとられた顔をしているのが見えた。
 奇妙に視界が広かった。

 そのまましばらく、にらみ合い――と表現するしかない。私の語彙では対応する単語が他にない――が続いた。
 どれだけの時間が、過ぎたか、

 ふっ、

 と何かしらの動機があって、私は竹刀を振り上げ、前へと踏み込んだ。
 宮沢が一本を取りに来ていた。竹刀が交錯する光景――時間の進みが何故だか遅く感じられる。
 迫る竹刀、それに掠めるようにして、体を右によじると、僅かな隙間に、竹刀がすっと吸いこまれていった――

――ぱぁん!

 という音が剣道場に響き渡り、断絶的に時間が動きだす。

 気づくと私の竹刀は、宮沢の面を直撃していた。
 慌てて引き戻す――残心もなにもあったものではない。試合だったら、これでは一本にはなり得ないだろう。
 取り繕ったように構えをとると、しかし、宮沢は竹刀を下ろす。
 そして、そのまま試合場を出ると、私に向かって礼をした。

 何を考えている――?
 呆気にとられ、私は竹刀を下ろすことも忘れていたが、そのうえに聞こえてきた声は全く理解を越えていた。
 なぜなら、宮沢は、面を着けたまま、からからと呵々大笑しだしたのだから。

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 ひとしきり笑い転げると、宮沢は面を脱いで、
「降参だ」
 と云った。
 私の顔はさぞ不満げであっただろうと思う。
 自分がどうやって勝ったものだか、よく判らない上に、その勝ち様を相手である宮沢に大笑いされたのだから。
 だが、その不満のかたちもどうやって表現したものか。
「二木」
 少しだけ真面目な目で、宮沢が言葉を口にした。
「今までで一番、澄んだ太刀筋だった」
「澄んだ……?」
 その評価もよく判らない。
「ああ。いい試合だった」
「宮沢が満足なら、私はそれで良いけれど……」
「ああ、俺は満足だ。出来ればこれからも手合わせをお願いしたいところだが――剣道部に戻る気はないんだろう?」
「ええ」
 それについては即答だ。
「そう言うだろうと思った。そういう太刀筋だった。まあ、手合わせはこれが最後だな」
 ひとり納得し、
「良い経験をさせてもらった、まだまだ修行が足りないな、俺も」
 そう言ってまた頭を下げた。
 そして、ふっと肩の力を抜くと、
「それより、二木」
「何よ?」
「もう少し、気楽にやれることがある」
 そう言って、宮沢は直枝の方に顔を向けた。
「理樹、今度の試合のことは二木に話したか?」
「え?」
 理樹は今まさに夢から覚めたような顔をして、それから慌てて首を振る。
「いや、まだだよ」
「試合?」
 訊くと宮沢は、バスターズの顔になった。
「再来週の週末、試合をするんだ。理樹はもう戦力に数えているが、できれば二木、お前にも参加して欲しい」
「私!?」
 しかも野球!?
「なあ、理樹?」
 私の唖然とした顔を一顧だにせず、宮沢は直枝に声をかけた。
「え、ああ、うん。二木さんにも来て貰えたら嬉しいなって、謙吾と話してたんだ。それに、きっと葉留佳さんも喜ぶよ」
「そういうことだ。考えておいてくれ。ま、」
 宮沢は云うと、私に背を向け、歩き出した。
「あとは理樹と相談して、お前が決めることだな。だが、みんな待っているぞ」
 直枝がこちらに歩いてきて、ふたり揃って、宮沢が去っていく方を見やった。
 その後ろ姿は、何故だかひどく清々しく見えたものだ。

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 ともあれ、この数日後、私はリトル・バスターズの練習に顔を出すことになる。
 寮長二人が揃って草野球とは仕方のない話だが――まあ、またそれもよかろうと何故か思えるのだ。


殺す気で苛烈に攻めるのが二木さんのやり方、みたいなイメージあるよね。本編の謙吾の「雑な剣だ」がひどく印象的です。

剣道未経験者のイメージ故、明後日の方向に勘違いしている可能性もありますので、そこんとこは是非にご勘弁いただけると。経験者の方が居られましたら、「そこ違ェよ!」ってなところを指摘してもらえると瀧川が大喜びします。


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