彼女の笑顔の理由(↑の直前の話)

 繰り返し繰り返される時間軸は、毎回、大きい逸脱はないものの、全く同様の事象の再現とならない。
 それは、世界の内側にいるひとたちの意思がそうさせているわけだけれど、一体どこまで『逸脱』が許されるものかと問われれば、その答えは誰も知らない。試そうという話も、寡聞にして知らない。

 その逆に、彼らが決して逸脱しない事象も存在する。それが、『修学旅行のあのバスに乗ること』だった。

 いつだかクドリャフカが話してくれたことに依れば、それはもう端的に地獄なのだそうだ。
 バスがガードレールを突き破り、崖から転落する。その字義通り、転げながら、落ちてゆく。突起物だらけのその中で、ほとんどミキサーにかけられるようにして攪拌される人体、人体、人体。クドリャフカ自身がどのような傷を負ったのか、訊くと、彼女は黙ったまま首を振った。

 葉留佳のことは、訊けなかった。

 どうやら、棗恭介の一派は、彼ら自身があの事故の現場に居合わせること、それそのものが、この『世界』の歪な時空構造を構成する重要な要因である、と考えているらしい。
 もっともらしい話ではあるが、そのために彼ら全員があのバスに乗り込む――事故が起こることを知っていて、なお――ということを、私はうまく納得できていなかった。

 端的に、それはひどいことだと思う。
 繰り返すために、忘れない。
 その想像を絶するであろう苦痛を何度も味わいながら、そこに敢えて向かわねばならない。
 何をして、彼らをそこまで駆り立てるのか。

 行き止まりの小径でダンスを踊っているようなものだ。
 ならばいっそ、とすら思っていた。これまでは。

--------

「委員長」
 隣に座る風紀委員のひとりが、そっと声をかけてきた。
 目線で続きを促すと、黙って前を走るバスを指さす。
 山道を行くバスは、事故が発生する/した地点に、ほとんどさしかかっているところだった。
 前を行くバスは、事故に遭うバスだ。その後部の窓に――私は目を見開いた!――葉留佳の姿が見えた。
 葉留佳は、こちらを向いて、にこにこしながら手を振っていた。
「何のつもりでしょう、三枝葉留佳。忍び込んでいるなら、黙って隠れていればいいものを」
 私の心中も知らずに、彼女は忌々しげに言い捨てた。

--------

「どうしても、行くの?」
「うん。行かなきゃね」
 今朝、葉留佳はごく当たり前のように、そう言った。
 事故に遭うと判っているバスに、葉留佳は乗り込むと云ったのだ。
「……」
 黙り込む私の背中を、ばん、と叩いて、葉留佳は笑った。
「大丈夫だって、きっと!」

--------

 そして今葉留佳は、私のほうを向いて、笑顔で手を振っている。
 まるで、また明日、と帰路の分かれ道で手を振る子供のように。

――また明日?

 その時私は、不条理にも理解した。
 そう。私たちは、また明日、逢えるのだ。
 葉留佳があの事故の時空間に至り、そこで世界が巻き戻されることで、私たちはまた明日、逢えるのだ。
 そこで私たちは、失った時間を取り戻すことができるだろう。
 そのために葉留佳は、あんなにも笑顔で、あのバスに乗り込んだのだ。
 行く手に何が待ち受けているかを知って、それをすべて飲み込んで……!!

 私は思わず立ち上がろうとして――瞬間、甲高い、何かが弾ける音がした。
 前を行くバスが急激に姿勢を崩し、斜め前のめりになり、そのままガードレールを突き破った。
 生徒達の悲鳴が聞こえた。
 崖の向こうに姿を消すバスがスローモーションで見える。その窓では、葉留佳が私に向かって手を振り続けている。それは決して崩れることのない笑顔で――それが、今回の世界における、私の最後の記憶だった。


最後の光景が書きたかったけど、いまいち設定が不明。

タイトルにもあるとおり、これは直接的に「またあとで、学校で(百合)」に続きます。


戻る