ボーイズ・ラヴ、嫉妬<ジェラシィ>、キス

「……ねえ、直枝」
「なに?」
「あなた、一人部屋に移りなさいよ」
 二木さんは物憂げな顔でこちらを見て、そう言った。

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 夕方の寮長室、差し込む夕日で朱色<あけいろ>に照らされている。
 その中で、陰影が強調された二木さんの横顔は、妙に物憂げだ。
「突然どうしたのさ」
「そうしたら、直枝の部屋に入り浸ってられるじゃない」
 時計は5時前、そろそろ警備員さんが回ってくる時間で、そうすれば僕たちは下校を余儀なくされる。お互い、部屋に帰る時間なのだ。つきあい始めてそれなりに時間が過ぎても、この寂しさはなくなるどころか、かえっていや増すばかりだった。
「いや……僕の部屋は男子寮だよ?」
「いいじゃない忍び込んでも。規約を気にするなら、女子寮に移りなさいよ。女装すればバレやしないわ、女顔だし」
 彼氏に向かって言う言葉がそれか、という疑問は口に出さず飲み込んだ。そのあたりは頓着しない子だ。
 それはそれとして、部屋でふたりで過ごす、というのはなかなかに素敵な提案だった。
「でも、それなら二木さんが部屋を移るって手もあるよね」
「私と葉留佳を引き離す気? 殺すわよ?」
 センチメンタルな表情のまま、ごく当たり前のように物騒なことを仰る。
「……いや、そんなつもりは毛頭」
 彼氏に向かって言う言葉がそれか、という疑問が再び浮かんだが、確かに葉留佳さんとの二人部屋を引き払うのは、ちょっとあり得ないだろう。
「でも、それを云うなら、真人が何て云うかな……」
「井ノ原か」
 二木さんが少し眉を顰める。確かに真人は、リトル・バスターズのなかでも、抜きんでて奇行に走る率が高い(葉留佳さんを除いて――彼女は二木さんの中で例外処理が為されている)。クドなんかも巻き込むものだから、二木さんはいい顔をしないときもある――

「……ボーイズ・ラヴ?」

――ぶふぅっ。クドリャフカ厳選のお茶を、僕は盛大に吹き出した。
「いやいやいや! 僕はほらそのなんていうか、二木さんの彼氏なわけでっ」
 慌てて弁明する僕に、二木さんが冷静に追い打ちをかけた。
「直枝のことは疑ってないわよ。でも、後ろを狙われている可能性はあるわ」
 そういえば最近の二木さんは、リトル・バスターズでは西園さんとよく話している。本の貸し借りがあるようだけど、不穏なものが混じってやしないか、こんど西園さんにそれとなく確認してみる必要がありそうだ。
「ボーイズ・ラヴは置いておいてさ、でも、真人とは長い付き合いだからなあ。『ちくしょう、理樹に嫌われちまったッ!!』とか言って明後日の方角に走っていきそうだよ」
「それはそうかもね」
 ふっと微笑んだ。
「やっぱり、後ろに気をつけたほうが」
「いや、それを言うなら、二木さんだって――」
 研ぎ澄まされた刃の美しいその切っ先によく似た殺気を感じて、僕は言葉を止めた。
「何ですって?」
「何でもアリマセン」
「ちなみに私は、葉留佳と同じベッドで寝てるわよ」
「そういうカミングアウトをっ!?」
「あら、嫉妬<ジェラシィ>?」
 二木さんはしてやったりと言う。
「だったら、私が井ノ原に嫉妬しても構わないでしょう。四六時中同じ部屋にいるんだから」
「……でも、二木さんは葉留佳さんの二人部屋から離れるつもり、ないんでしょう?」
「だから、好きなときに直枝の一人部屋に押しかけられるようにしておく必要があるんじゃない。女子寮の」
 そんなことも判らないのかと二木さんの声色が語る。
 敢えてポジティブシンキングに傾ければ、女装話を平然とできるようになったのは、まあ、いいことなのかも知れない。

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 そんなことを話していると、こんこん、と扉がノックされた。
 顔<インターフェイス>を外向きのそれに瞬転させ、二木さんが立ち上がって応える。
「はい」
 扉を開けたのは、警備員さんだった。
「そろそろ、下校の時間だよ」
「判ってます――行くわよ、直枝」
「あ、うん」
 鞄を掴んで立ち上がる。二木さんについて廊下に出ると、
「それじゃ、お疲れ様です」
「はい、お疲れ様。気をつけて帰りなさい」
 警備員さんに挨拶をして、廊下を下駄箱の方へと向かう。

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 日は落ちて、夕焼けの残り香が僅かに闇に抵抗している。蛍光灯が明々としはじめる時間だった。
 その日の仕事が片付いてから、警備員さんが来るまで、それから寮の玄関までの帰り道は、日々の僅かな、二人だけの時間。
 確かに、もう少し長ければなと毎日思う。

 でも、考えてみればそれだって結構贅沢なことだ。
 例えば寮会を退いたら――と考えると――。
 たしかに、二人の時間をどうやって捻出するかは、結構難しい課題になりそうだ。

 やれやれ、難しいことになった。
 どうしたものか――と思いながら、ふと欲求に駆られる。
「……二木さん?」
「なによ」
 こちらを向いた二木さんに、黙って口づける。
 目を丸くしたが、拒絶はされなかった。
 唇が離れると、二木さんは目を逸らして、
「馬鹿」
 とだけ言った。


あまあまです。

二木さんは結構嫉妬深いイメージ。葉留佳さんも理樹も手放したくないというか。たぶん、クドリャフカも、もしかしたら、リトル・バスターズも、そうかも知れませんね。


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