ただそばにいる、ということは、それほど無力なことではない(11/22に際して)

 酷い顔だった。
 概ね見て、判った。
 玄関のチャイムもなしに鍵の音がして、この顔だ。
 なにかしらの予感があって、給湯器のスイッチは点けてきた。
「お湯、出るよ」
 云うと、佳奈多さんは黙って僕の側を通り抜けて、自分の部屋へと入った。
 静かに乱暴な音がした。

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 さぁぁ……というシャワーの単調な音のむこうに時折聞こえる嗚咽を、敢えて聞こえないことにする。更衣室、洗濯機にもたれかかり、ただ無心を保つ。
 磨りガラスのような細工のプラスチックのむこうから、僕の姿は朧気に見えているはずだ。それでいい。
 1分、2分、3分……秒針が天頂を指すごとに、ただカウンタにインクリメントを施す。
 4分、5分……最初の1バイトは呆気なく限界を超え、全加算器が稼働すると上位バイトが計数を開始する。
 2バイトめは、さすがに使い切れないだろうな、とぼんやりと思う。
 そのあいだにも、声はとぎれとぎれに聞こえてくる。

 これが距離だった。
 こういうときに思い出すのは、いつも、インディヴィジュアル、という単語のことだ。
 邦訳すれば単に「個性的な」となるが、根源的な意味は、「これ以上分割不可能な」となる。対偶をとれば、要するに僕たちは、個人までは分割されてしまわざるを得ない存在なのだ。
 これが距離なのだ。

 だが――と、僕は思う。

 ただそばにいる、ということは、それほど無力なことではない

 それだけで、僕たちは、なにものかに立ち向かっていくことができる。
 そして今、佳奈多さんにそうしてあげることができるのは、他ならぬ僕だけなのだ。
 ならば、そうするだけだ。
 ただひたすらに無心に、僕はそこに居続ける。
 洗濯機にもたれかかって、何の意味もなく、回る秒針を見つめて。

 やがてシャワーの音が止むと、浴室のドアが開いて、佳奈多さんが出てくる気配がした。
 視線を向けないままバスタオルを渡す。その体を拭う音がする。
 為すべきことは変わらない。

 たとえ、何も判ってあげることができなくても、だ

 やがて、湿ったバスタオルが押しつけられる。それを洗濯籠に放り込むと、

「寝よう」

 とだけ云う。
 佳奈多さんはそのまま寝室に向かうと、何も身に纏わないままベッドに倒れ込む。僕は灯りを消すと、その横にそっと横になり、一枚の掛け布団で僕たちを覆った。

「おやすみ、佳奈多さん」

 そう言って、敢えて背を向ける。
 何も言わないまま、佳奈多さんは、僕の背中に顔を押しつけた。
 僕はただ、じっとそうしている。
 静かな寝息が――寝ているときくらいは安らかであれかし――聞こえてくるまで、ただ、そうしていた。


11/22はいい夫婦の日らしいのですが、なんか、こんなイメージです。

素敵だと思うんですが、まあ、理樹君はこう、受難の日々ですねェ……(笑)


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