読書と孤高について

 三角ベースの練習試合は、3−2、棗先輩チームの勝利に終わった。
 鈴さん―直枝のバッテリーは善戦したが、今日の棗先輩の投球は特に切れが良く、直枝チームの打線が寸断されたのが敗因だった。
 試合が終わっても、皆がフィールドで遊んでいるのを尻目に(「コラ待てクド公〜っ!」「わふーっ!!」)、私は三塁から、そのそばの木陰に足を進めた。

 よくもまあ、みんな転げ回っているものだ。あんなに走って、疲れないのかしら。

 と、私の感慨に同意してくれそうな少女が一人、そこにいた。
 傘を差した、寡黙なる西園さんだ。
「お疲れ様でした」
 本から顔を上げて、西園さんは私を迎えてくれた。
 そしてマグカップを取り出すと、とぽとぽと紅茶を注いでくれる。湯気が立つ。ホットか。
「ありがとう、西園さん」
「いえ、それほどでも」頬を少し赤くして「……リトル・バスターズのマネージャですから」
「そうだったわね」
 受け取って一口。夕方になるとすこし涼しい風が吹き始める10月の頭、暖まるそれはとても有り難い。
「……マネージャ合格」
「それはどうも」
 我らがマネージャは幽かに微笑みを浮かべる。言葉の表層の印象とは違って、これは素直に喜んでいる時の顔だ。

「そういえば」
 西園さんは、駆ける彼ら/彼女らを見ながら、口を開いた。
「二木さんは、本は読まれないのですか?」
「本?」
「はい」
 本の虫と言えば西園さん、西園さんといえば本の虫。虫というのは失礼か。ともあれその西園さんから本の話題が出るとは、珍しい。
 意外にも、それは西園さんの全く個人的な趣味であって、他人との交感を目的としてものではないらしい。無論、興味があって本のやりとりとしているのは、来ヶ谷さんやクドリャフカほか、何人かいるようだけれど……。
「そうね……」
 ふと昔のことを思い出してみたけれど、思い当たるようなところは……そう、そんなにはなかった。
「私は、確かにものを読むことは多いけれど、実用一辺倒だから、西園さんのような『物語』は、あまり」
「実用?」
 西園さんは首をかしげる。
「料理とかですか?」
「いいえ――勉強よ」
 その一言で、西園さんは――さすが聡い――『実用』の意味を察したらしい。
「すみません。どちらかというとインドア派に見えたものですから」
「いいのよ、気にしないで」
 さらりと流す。甘く見て話しすぎたのはこちらの方だ。

 武器というのは、要するに自分の力を示すための武器、ということだ。
 学生の本分が勉強なら、その本分以て頂点に立つ。
 単にそれだけの――それ以外の何物でもない目的のための、もの読み。

「こっちこそごめんなさい。西園さんみたいな読書家にしてみれば、ちょっと――歪んでるわよね」
「いえ」
 西園さんは首を振る。
「合目的的だと思います。歪んでいるのはかえって――『読書家』の方ですよ」
「……」
 答えに窮した。
 いや、答えはすぐに浮かんだが、それを口にするのは躊躇われた。
 歪んだ現実に対して合目的的である自分と、歪んだ現実に囚われずにまっすぐな――つまり相対的に『歪んでいる』――西園さんと、どちらがまっとうなのか。

「……無い物ねだり、ね」
「そうかもしれません」
 私の思考のモデルを察したか――常々考えていることなのだろう――西園さんは淡々と首肯した。

『白鳥は 哀しからずや 空の青
   うみのあをにも染まず ただよふ』

 その孤高をうらやましいと一面では思いつつも、それでは本当にそれが欲しいのかと問われれば、それは判らない。最終的には否定するかもしれない。だって、私は直枝のことをもっと知りたいし、直枝に判って欲しいと思う。

 寂しがり屋で貪欲なのだ。私は。

「――二木さん」

 声に我に返る。
「すみません、ちょっと言い過ぎてしまいました」
「……」
「お詫びのかわりに――私の話ですが」
 あくまでも淡々と、しかし彼ら/彼女らのほうを向いて、西園さんは言った。
「こう……それでも私はここにいることにしました。半端な未練ですが――ここは、いいところです」
 はっとした。
 彼女は今――未練と表現したのか? 自分のことを?
「ですから」
 私の反応を特に気にもせず、西園さんは語る。
「お互い少しくらい、焦がれてもいいのではないでしょうか」

 ああ……なるほど。
 孤高は貪欲に、貪欲は孤高に、焦がれてもいい

「……詩人ね、西園さんは」
 その言葉を口にしながら、私は笑顔だったと思う。
「読書家ですから」
 西園さんは、意を得たり、とでも思っただろうか――それが彼女の『焦がれ』なのかも知れない――また笑顔だった。

 そんなことをしていると、やがて、

「おーい、おねーちゃーんっ!」

 いい加減に遊び飽きたか、葉留佳が駆けてきた。
 なるほど、葉留佳と西園さんが気の合うわけが、なんとなく判った。
 いい友人が増えそうだな、と思う。
 そういうところでも、私は貪欲になったかな、とも、また思う。


西園さんと二木さん。結構いいコンビです。あとはるちんも。


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