12月になって、冬用のコートを出すと、なんとなく町に出てみたくなる。そんな理由で、あーちゃん先輩を誘った。
行きつけの喫茶店にはいって、とりあえずのケーキセットを頼むと――私は焙じ茶に抹茶ケーキ、あーちゃん先輩はエスプレッソにチョコレートケーキだ――あーちゃん先輩が少し小声で言った。
「寮会のほうはいいの、かなちゃん?」
「直枝に押しつけてきましたから」
それを聞いて、あーちゃん先輩はくすくすと笑った。
「あなたたちホント、仲がよくて、いいわねえ」
「そうですか?」
訊きかえす。
「そりゃまぁ、あたしだってオンナノコだからね。熱々のカップルを見てれば、そう思うわよ」
「熱々、ですか」
「かなちゃんには自覚ないかも知れないけどね。端から見てれば、そりゃあもう、ゴチソウサマデシタ、ってな具合!」
ご丁寧に、両手を合わせてみせる。まだドリンクも来ていないのだけれど。
「……やっぱり、あなたたちで正解だったわ」
「何がですか?」
「寮長よ。よかったでしょ? 直枝君と二人で」
「少し公私混同気味ですけどね」
「いいじゃない、ちょっとくらい。それでうまく回るんなら、誰も文句は言わないわ」
「そこのところに抜かりはありません」
「よッ、さすが鋼鉄の風紀委員長ドノ!」
「昔のことを蒸し返さないでください」
ちょっと顔が赤くなる。あの時代は、昔話で笑って話すには、まだ少しヘヴィだ。
やがてケーキとドリンクがやってくると、私たちは、まるで年頃の少女のように遠慮なくがっついた。
いや、そのつもりはないのだけれど、箸――もといフォークが進む進む。
上品な抹茶のスポンジに、うっすら小豆色のクリーム。そのなかに秋らしく輝く、栗の甘露煮の粒!
複雑な構成の味わい、全体的に僅かに抑えられた甘さが、口に残るほんの幽かな物足りなさを演出する。半分も食べれば胸焼けのするプッチンプリンとは、そもそもモノが違いすぎるのだ。
焙じ茶の渋みがそれに彩りを添えて、まったく至福とはこの事だと思う。
「いやあ……ここのケーキは絶品ね!」
あーちゃん先輩も、天晴、と云わんばかりにエスプレッソを啜った。
無論、ケーキの皿はとっくにカラである。
「直枝に教えて貰ったんですよ」
「ほほう? 直枝君もなかなか店を見る目があるわね。それともタウン誌で下調べしたのかしら?」
「寮を出る前から『行ってみたい店がある』って云ってました」
「やるわねえ、直枝君。最初はちょっと頼りないところがあったけど……それとも、我が愛しのかなちゃんのためなら、男って変われるものなのかしら?」
ふうむ、と心の中で呟く。妙に反応がいい。
ジャブを打ってみるものだ。
「確かに、随分とこう……頼れるようになりましたね、直枝は」
「相変わらずやられてるわね〜」
「のろけてるつもりは、ないんですけどね」
「かなちゃん! それは自覚が足りないわ。あなたのそれは、そりゃもうノロケよ。どノロケよ。ノロケ以外のなにものでもないわよっ!!」
テンションが上がっている。仕掛け時か。
「ううん……」
困った振りをして見せる。
「思ったままの感想なんですけど」
「あーもうっ、なんて素敵なお二人かっ! うらやましいっ!!」
「なるほど、うらやましい、と」
「……え?」
目を点にして、あーちゃん先輩は絶句した。
こんな見え見えの疑似餌<ルアー>に引っかかるとは、『やられてる』のはどっちなんだか。とどめの一撃を放つ。
「あーちゃん先輩、ちゃんとうらやましいって明言したのは、はじめてですよね」
一瞬のあと、あーちゃん先輩は
「か〜な〜ちゃ〜ん〜っ!?」
恨めしげな声で私の名前を呼んだ。
「謀ったわねっ!」
「こうでもしないと、あーちゃん先輩、はっきりしないじゃないですか」
粛々と焙じ茶を口にすると、そのむこうであーちゃん先輩ががっくりと項垂れた。
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「諸々、お察しの通りでございます、お代官様」
喫茶店の一席は臨時のお白洲となって、被告たるあーちゃん先輩は、ただただ頭を垂れるばかりだった。
「一度、直枝のいないところで話をしようと思いまして。寮長室だと人の耳もあるから」
「今の発言すらノロケに聞こえる今の私に隙はなかった!」
「はぁ……」
確かにそいつは隙はないというか、隙だらけだ。
「で、あーちゃん先輩、本気なんですね?」
問うと、あーちゃん先輩は急に自信なさげな様子になった。
おどおどと口を開く。
「たぶん……本気……だと思う」
どうにも煮え切らない。
「……それじゃ、他の子に取られてしまっても、構わないと?」
「そっちの方がリアル」
今度は即答だ。
「自信ないもの、私」
「そんなところだろうと思いました。でも、そんなこと聞いてるんじゃないです」
「……?」
「棗先輩を他の子に取られてしまっても、いいんですか?」
あーちゃん先輩は、今度は押し黙った。
私は黙って言葉を待つ。
ここばかりは、自分で一歩、足を踏み出す必要がある。
これから先、歩いていくためには、それが絶対に必要なのだ。
沈黙が続く。
もう一口焙じ茶をすすって、窓の外に目をやった。
一面分厚い灰色の空、冬景色だった。
雪が降ってくるまで、そう時間はかからない。
クリスマスを控えて、町は浮き足立っている。
コートとマフラーに身を包んだ男女の幾組かが、楽しげに笑いあいながら通り過ぎていく。
この冬が通り過ぎていく。
厳しい寒さの中、決して強くはないであろう人たちの、ささやかな幸せを乗せて。
そして、あーちゃん先輩に、1年後はもうないのだ。
そんな町並みをぼうっと眺めていたあーちゃん先輩が……ふっと、頬を緩めた。
「みんな、幸せそうね」
ぽつり、云う。敢えて淡々と返す。
「そういう季節ですから」
「そうだね……」
あーちゃん先輩は頷く。
そして、その優しそうな笑顔のままで、
「棗君があんな風に誰かと歩いてるのは……嫌だな」
観念したように云った。
二木さんがこの手の話を主導してるってのも、なかなか珍しい感じ。
がんばれあーちゃん先輩!