はじめてのクロスオーバーはサンマの日に

「いいんちょー」
 放課後、寮に続く渡り廊下を歩いていると、横から懐かしい声に呼び止められた。退役軍人たる私をそう呼ぶひとは、数えるくらいしかいない。足を止めて、声をかける。
「久しぶりね、どうしたの?」
「これを見てくれ」
 スーパーのビニール袋から、口の縛られた青い袋を取り出す。中に何が入っているのか、訊かずとも判った。思わず微笑む。
「あなたも、飽きないわね……」
「当然だ」
 何を言っているのか、と云わんばかりだ。
「それにいいんちょー、今日が何の日か知っているのか」
「え?」
 頭の中を攫ってみるが、思い当たるものは特にない。
「いえ……何かあったかしら?」
「今日は、11/30<いいサンマの日>だ」
 彼女――中津静流は、えへんとばかりに無い胸を張った。

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「わふーっ!」
 家庭科部室の三和土、静流がサンマの袋を見せると、クドリャフカは飛び上がって喜んだ。
「さすが中津さん、サンマの日は逃さないのですね!」
「知ってたの、クドリャフカ?」
「もちろんです。スーパーのチラシに書いてありました!」
「ああ……」
 それって語呂合わせとかダジャレとかの類なんじゃないだろうか。11月の終りというのも、サンマにしては遅すぎる。些か季節外れのそれを売り抜けるためのセールス文句だろう。
「それでクド、七輪を貸して欲しい」
「もちろんなのですっ。サンマには七輪と大根おろしと醤油が必携アイテムなのですっ!」
「うむ。大根も買ってきた――一緒に食べよう」
「わふーっ!」
「さすが、判ってるわね、中津さん」
「サンマに関しては抜かりはない」
 それ以外が些か抜けている彼女は、しかし自信満々だった。

 七輪はもちろん、屋内では使えない。
 コート(煙がついても大丈夫な、実用一辺倒のやつだ)を着て外に出て、七輪を設置。
 炭を幾つか投げ込んでチャッカマンで火を点けると、澄んで引き締まった空気が僅かにやわらいだ。
 力仕事を終えると、私は少し離れた場所に椅子を置いて、そこで大根を下ろしはじめた。
 中津さんとクドリャフカは、火を囲んでわふわふと楽しそうだ。それを眺めているのもまたよし。

 慕ってくれる後輩というのは、有り難いものだ。
 いや、冷静に考えればクドリャフカは同級生なのだけど……どうにも、そんな感じがしない。犬っぽいからだろうか。

 やがて炭が赤熱し、中津さんがサンマを網に並べ始める。煙がゆっくりと立ちのぼりはじめ、やがてさんまの焼けるいい匂いが広がっていく。

 匂いに釣られてやってきたのは、此花さんだった。
「やはり静流か」
「うむ」
「こんにちはなのですっ!」
「ああ、こんにちは。二木さんもな」
「ええ。そろそろ来る頃だと思っていたわ」
「サンマとあってはな」
「仕方ないわね」
「その通りだ」
 云って七輪のあたりに腰を下ろす。

 此花さんは我がクラスの委員長で、私が風紀委員をやめてからは、葉留佳を追いかけ回しているのはおおむね此花さんだ。収穫祭の時期には、特に色々やらかして、此花さんのアッパーカットが葉留佳の顎を直撃したことの二度三度ではない。

 その葉留佳が、校舎の壁の向こうから、ちらりと顔を出している。
「ところで葉留佳、そんなところに隠れてないで、こっちにいらっしゃい」
「む」
 此花さんが俊敏に葉留佳のほうを向いて、葉留佳は、げっ、という顔をした。
 だが、此花さんは特段それを気にするでもなく、
「いい時に来たな」
 とだけ言った。
 葉留佳はそろそろと七輪に近づくと、ほうと息を吐いて、
「あったたかいねえ」
 と呟く。
「うむ」「ああ」「そうですねえ」
 中津さん、此花さん、クドリャフカが三者三様に応えた。

 ぱちぱちと炭が爆ぜ、赤外線の放射があたたかい。
 赤く照らされた皆の顔。
 煙のにおいのついてしまっているであろうコート。

 見ていると、なんとなくそこに混じりたくなった。
 ちょうど大根を下ろし終わったのを理由にして、つと立って、その間に入る。
「準備完了よ、中津さん」
「うむ」
 我らがサンマ大臣は、ご苦労、とばかりに頷いた。
「静流、そろそろいい頃合いだ」
「うむ」
 もう一度頷くと、中津さんは割り箸を網にのばした。


とりとめもなく、いいサンマの日。1130でいいサンマです。スペシャルサンクスto海星・S・ひでと(@hitode999)さん!

フーキーンとか委員長とかで、何となく通じ合うものがある感じでしょうか。中のひとも同じだし。


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