楽しいことを見つけに

『本店は、11月末日を持って閉店とさせていただきます。
 今までのご愛顧、誠にありがとうございました。』

 真っ白な紙に淡々と打たれた活字を、僕らはしばし呆然と見つめた。

 どこにでもあるチェーン店のハンバーガーショップの、珍しくもない閉店の告知。それはしかし僕たちに、しばしの沈黙をもたらす。僕たちにとっては、それだけの意味のある場所だった。ここは。

 あれは随分前のことだけど、寮会の仕事で、二人で町に出た。頼み事に、1時間ほどかかるからと鍵屋のおじさんに言われ、はじめて二人で時間を潰したのがここだ。初デートというには、些か事務的すぎるなりゆきだった。

 そんな想い出の場所だった。

 いつの間にかふたり、映画のあとはハンバーガーショップと決めていた。それが僕たちのデートだった。その日常の一部は今や、永遠に失われてしまったのだ。僕らはただ無力で、それに抗うことは出来ない。

 喪失感。

「直枝」

 ぽつり、二木さんが言う。

「この店、好きだったかしら?」

 頷く。

「私は好きだった。映画を見たあとでここに来るのが、いつも楽しみだった。でも――」

 二木さんはかつて看板のあった場所を見上げた。そこには最早、ハンバーガーショップの痕跡を示すものは何もない。

「――変わらずにはいられないのね。何もかも。楽しいことも、嬉しいことも、全部――全部、変わらずにはいられない。そして私も、この場所のことを忘れていく。もしかしたら、直枝との想い出と一緒に――」

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「見つければいいだろ」

 男の声。振り向く。
 そこには、安全ヘルメットをかぶった、作業着の男が立っていた。知らない男だったが――かれは明らかに、僕たちにむかって話しかけていた。

「次の楽しいことや嬉しいことを、見つければいい。そうだろう?」

「あなたは……」

 不審気に眉をひそめる二木さんに代わって、尋ねる。

「なに、ただの町の電気工さ」

 飄々と言う。ただの電気工の割には、その口調には奇妙な確信があった。

「見たところ、この店の常連だったみたいだな?」
「ええ、そうです」
「学生さんのデートにはもってこいだからな、この店は――まあ、回転は悪そうだから、客の入りにしては経営はそれほどでも、って感じだろうが――そうか。そいつは残念だな」
「ここは――僕たちにとっては、想い出の場所なんです。それこそ、かけがえのない」
「もし本当にそうなら――」

 男はそらをみあげた。

「――この町がどんなに変わっていこうと、お前達の中に、この店は残り続けるだろうさ。そういうもんだ。本当に大切なものは、忘れようとしたって、忘れられないもんなんだ」

 奇妙に実感のこもった声だった。
 本当に大切なものは、忘れようとしたって、忘れられない
 問えはしなかったが、言外に――そのことの善悪に関わらず――の意を感じた。

「そうですかね」
「ああ、そうだ」

 男は静かに言うと、鞄をごそごそとやりはじめた。

「たしか、何枚か持ってたはずだけどな……」
「何をです?」
「いいものさ――ああ、あった」

 男はくしゃくしゃの紙――チラシのようだ――を僕の方に突きだした。受け取って眺める。

「新しくできた喫茶店だ。俺の知り合いがやっててな、身内の俺が言うのもなんだけど、美味い。学生さんの財布にも優しいしな」

 横から二木さんが覗き込んだ。少し興味を惹かれたようだ。

「この店の名前……なんて読むのかしら?」
「ああ」

 男は苦笑する。

「みんなそう言う。読めないよな。それはな……」
「おい、そろそろ次行くぞ!」

 別の男の声に、男はばっと振り向いた。

「しまった……」

 そしてこちらに顔だけを向け、

「すまん、もう仕事に戻らなきゃならん。もしかしたら店で会うかもしれんが、それじゃあな」

 忙しげにそう言い残すと、男は駆け出していった。彼が路肩に止めたバンに飛び乗ると、車はうなりを上げて走り去っていく。

「……」

 二木さんは、しげしげとそのチラシを見つめていたけれど、やがて、

「次の楽しいことを見つければいい――忘れようとしたって、忘れられない――か」

 と、ぽつりと言った。

「行ってみようか?」
「そう、しましょうか」

 小さく頷く。地図によると喫茶店は、商店街の半ばくらいだ。歩いて5分もかからない。

「ハンバーガー、あるかしら?」
「頼めば作ってくれるかも」
「ケチャップ増量で?」
「ピクルス抜きでね」

 偶然の出会いの先に何があるのか、少しわくわくしている自分に気づいた。
 確かに、次の楽しいことを見つける、というのは、悪くないかも知れない。

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 少しだけ後日談を。
 商店街のその喫茶店は、電気工の人――岡崎さんとその友人達のたまり場のようになっていた。僕たちより一回り大人の、素敵な人たちだった。
 後から考えれば、この日が、僕たちバスターズとベイカーズの奇妙な縁の始まりだったのだけれど――だけど、それはまた、別のお話。


言わずと知れたクロスオーバー。カフェの店長はオマジナイで有名なあの方です。

瀧川的には、CLANNAD1997年説を採っているので(CLANNAD: Lost "Winter"参照)、バスターズの諸氏とは10歳違いになりますね。ちょうど一回りって感じかな。


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