遠い日の記憶

「きっかけ?」
「はい。そういえば、聞いてなかったと思いますけど」

 ある日の放課後、寮長室でくだを巻くあーちゃん先輩を見ていて、ふと気になった。

「そうねえ……」
 何を思ったか、あーちゃん先輩はふっと遠い目をした。
「話したくないなら、別にいいんですけど」
「いえ、そうじゃないわ。でも、ずいぶん昔のことになっちゃったなあ、って思って」
「昔のこと?」
「告白が成功する確率が高いのって、だいたい会って3ヶ月くらいが限度って言うじゃない? それを考えたらねえ」
「どれくらいなんですか?」
「まる2年ね」
「2年?」
「そう」
 おどけた調子で言う。2年前といえば、あーちゃん先輩と棗先輩が1年生の秋で、私や直枝、それにバスターズの面々がこの学校に入学する前のことになる。
「それは……知りませんでした」
「意外でしょ。結構長いのよ?」
「あーちゃん先輩らしいです。これと決めたら動かなさそうで」
「ふふ、そうかもね……ねえ、かなちゃん」
「はい」
「その、よければ……聞いてくれるかしら。そのころの話」

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 この学校は全寮制だから、そりゃ私も棗君も、入学した頃からずっと寮生だったわけ。
 それで、入学式の後からしばらく、新入生歓迎週間ってあるじゃない?
 そ、あの部活に勧誘する週間ね。
 知っての通り、結局私は家庭科部にはいることに決めたんだけど、その家庭科部のある先輩が、ちょうど寮長をしていてね。そう、私の2つ上の寮長。あの人も、家庭科部員だったのね。

 そんなわけで、どんなきっかけだったかな、忘れちゃったけど、誘われて寮会の方にきてみたわけ。

 まあ、私たちの学年の寮会委員っても、そんなにいないじゃない。寮会専任は男子寮長氏くらいのものだし。
 まあ、あんまり新入生もいないわけよ。これも知っての通りか。
 そこに棗君がきてたってわけ。

 棗君のルームメイトって、男子寮長氏と仲いいでしょ。それで、二人一緒に男子寮長氏に誘われてきたのね。

 一目惚れかって?
 いや……そんなことはなかったかな。ただ、おもしろそうな奴だな、とは思ったけどさ。
 今じゃ少しは大人っぽいところもあるけど、1年生と3年生じゃ全然違うからね。あの頃はこう……ホント悪ガキって感じだったわね。寮長室<ここ>にきたときも、あちこち家捜しし始めて怒られて。そうね、確かに、ガキか! って思ったあきれた覚えがあるわ。

 それで、棗君って、どこの部活にも入ってないじゃない?
 部活に入っちゃうと、寮会に顔出さなくなる人、多いわよね。かなちゃんは例外みたいな感じだけど、一般的にはそうでしょ。
 その例に漏れず、あたしたちの同期で寮会に残ったのは結局、男子寮長氏、棗君、そして私の3人だったってわけ。

 私は家庭科部の方もあったから、あのころは、男子寮長氏と棗君が、一番寮会に顔出してたんじゃないかなぁ。
 不思議でしょ?
 でもあれよ、棗君ったらだいたい、今と変わらないの。男子寮長氏と二人でつるんで、遊び回ってたわ。
 ま、男子寮長氏はどっちかっていうと、振り回されてただけかもしれないけどね。基本堅物だし、あいつ。

 ともかく、そんなこんなで秋になったわけ。

 あれは、そうだなあ、学祭の準備をしている頃でね、あの時期ってみんな忙しいじゃない?
 夜も遅くてさ、寮会にも仕事がずんどこ降ってくる。
 で、夜も遅くに寮長室をあけてもらって、仕事してたの。
 疲れも溜まっていた頃だったと思う。
 ちょうどそこの机だったかな。
 ばっさり、やっちゃったのよ。
 カッターナイフ。
 人差し指をね。

 そりゃもうどばーっと血が出てさ。頭回ってないのもあって、もうパニックになっちゃったの。
 うわあ〜って、ひどい声上げたと思うなぁ。
 そしたら、棗君が一番にすっ飛んできてくれて、何言ったんだか全然覚えてないんだけど、とにかく手を掴まれたまま流し場まで連れて行かれてさ、傷口を流したのね。そしたらアレでしょ、水が真っ赤に染まってーーちょっと血の色の付いた水なのに、めちゃくちゃ出血してるみたいに見えちゃってさ、もう大泣きよ。

 まあ、指先切ったくらいで死にゃしないんだけどさ、棗君、すぱっと決断したのよね。
 119番。
 救急車よ。
 そりゃ、破傷風とかの危険があるっちゃあるけど、冷静に考えればそこまでやるかって思うでしょ?
 やるのが棗君なのよ。
 ある種のこう、見境ないところあるでしょ、棗君。

 とにかく5分もしないで救急車がついて、私ってば棗君にしがみつきっぱなしでさ、そのまま一緒に救急車で病院についてきてくれたわけ。
 まあ、誰かつきそいは必要なんだけどね。

 ともかく夜も遅くて、救急外来で、治療を受けてベッドに寝かされて、念のためってんで点滴打たれてね。気休めだと思うんだけど。
 点滴が落ちるまで2時間か3時間だったかなぁ。
 棗君、ずっと横についててくれたのよ。
 もう不安で不安でさ、横になってもずっと泣いてるの。点滴なんて初めてだったから、もう、気休めにもなりゃしない、逆効果もいいところよ。
 そしたら、棗君が怪我してない方の手を……握ってくれたのよね。
 大丈夫だって言って。頭なでてくれたかな。よく覚えてないかな。
 で、何だか安心してねえ。
 泣きっぱなしだったんだけど、質が変わるって言うか、不安で泣いてるんじゃなくなって、気づいたら寝てて、起きたら点滴もはずれてて、それでも手を握っててくれたのね。
 もう、顔、真っ赤よ。
 大丈夫かって訊かれて、うんって言ったら、じゃあ行くかって。
 そのまま二人で帰ってきたわ。
 たぶん日が変わらないくらいの時間だったと思う。
 コートも着てきてないから、ずいぶん寒かったはずだけど、なんだかぼーっとしちゃってねえ。
 棗君と別れて部屋に帰っても、のぼせた感じがとれなくてさ、そんでようやく自覚したわけ。

 こりゃもしかして、恋ってやつなんじゃないのかってね。

 でもまあ、おばさんくさいで有名な私のことだからさ、告白とかもできないで、クリスマスもバレンタインもなにもなしで終わったわけ。
 寮会のパーティーとか義理チョコはあったけどさ、それはワン・オブ・ゼムじゃない?
 で、機会を逃して、かわいい後輩でも入ってこようものなら、こりゃどうしたものかなって悩んでたのが2月の終わり頃なんだけどさ……。

 それが、棗君、突然、寮会をやめるって言い出して。
 そりゃびっくりしたわよ。
 何か不満でもあるのかって聞いた。一緒に仕事したかったからね。
 そりゃ真剣に訊いたわよ。

 そしたらさ、棗君、妹が入学してくるんだって言ったのよ。
 なにそれって思った。
 普通、妹が入学するからってガッコーの人間関係やめる?
 一体どういうことだか全ッ然わかんないの。
 今となれば、1年生の頃の棗さんの様子みれば判るし、それに、直枝君たちも入学してきたわけだから、分からなくもないんだけどさ。

 当時は泣いたなぁ。
 いっそ私も辞めちゃおうかなって思ったわよ。
 でも、当時の寮長ーーあ、そのころはもう、元寮長か、ともかくその先輩に止められたのね。
 無理心中なんて、いい女のする事じゃない、ってさ。
 すごい言いぐさじゃない?
 無理心中よ無理心中。
 なんだか笑っちゃってさ。
 それで、すっと何か抜けてねえ。
 よし、あたしはここにいよう、って何となく思ったのよ。
 それで、半年後にはなんと女子寮長に指名されて、そのまま今に至るってわけ。
 これが全部、かなちゃんが入ってくる前の話なのよね。もう、ほんと、昔話。

 棗君とはそれ以来、仲のいいクラスメイトね。
 あ、2年の時はクラス違ったかな。
 教室近いし、廊下で遊んでれば顔も会わせるけど、でも要するに棗君って、2年生からは、バスターズの棗君、になったのね。一人だけ年上って事もあって、急に大人っぽくなっちゃっってさ。
 何やってんだか、って感じよ。こっちからしたら。

 もう1年半も経ってさ……それでも忘れられないんだから、まったく未練がましい女よねえ、私も。
 イヤになっちゃうわよ。

 ただ、2、3年生の棗君を見てるとさ、大切なものがあるんだなぁって思うんだ。
 それを邪魔しちゃ、女が廃るってもんでしょ?
 だから、棗君のことを見てることにしたわけ。
 そーっと、静かにね。
 でも、特に何があるでもなくて、棗君ときたらバスターズで青春を謳歌しちゃってさ。
 そのまま、今に至る……ってわけよ。

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「どう、かなちゃん。結構悲惨でしょ?」
 おどけた調子で言う。聞いている限り、結構重い話だと思うんだけど。
「……きっと棗先輩も、感謝してると思いますよ」
「感謝?」
「黙ってみててくれるなんて、そうそういませんよ、そんないい女」
「それっておばさんくさいってことだよね?」
「ま、少し落ち着きすぎっていう感じはじますけど」
 二人して何となく笑う。
「でもあーちゃん先輩、話を聞いていて、なんとなくですけど、勝算がありそうな気がしてきました」
「あら、そうかしら?」
 興味津々を押さえつける声だ。そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。
「春がくれば、棗先輩はもう、この学校にいられませんからね。バスターズの面々とも別れることになる。それはあーちゃん先輩も同じですけど……でも、生活が変わっていく機会ですから、チャンスはあるはずです。少なくとも、バスターズが安定していた頃よりは」
「ま、そうとでも思わないと、やってられないわね……」
 別れる、という言葉がきっかけか、またあーちゃん先輩が凹みだした。まったく、この件に関しては打たれ弱いことこの上ない――

――不意に浮かぶ不安。それが何なのかと心を探ると――『バスターズが安定していた頃』という言い回しにひっかかったのだと、自覚があった。
 そうか――
 一体私たちはこれから、どんな風になっていくのだろう?
 あるいは私と直枝も、変わっていかざるを得ないのだろうか?
 きっとこれから来る、出会いと別れの季節の、その先には……。


「あら、棗君。ここでは久しぶりね」というあーちゃん先輩の台詞を拡大解釈してみました。

最近あーちゃん先輩が可愛くて仕方ない。いや、浮気じゃないデスヨ?


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