直枝理樹の夜食

 きゅぅ……とかわいらしい音がした。
 思わず音の発生源に目をやると、彼女は顔を赤くしておなかを押さえ、
「な、何よ……」
 と妙につんけんした声を上げた。
「おなか、へったの?」
「悪い!?」
 早々に逆ギレだ。実に二木さんらしい。
 ちらと時計を見ると、まだ11時だ。今日は週末、明日は休日。葉留佳さんは二木の家に帰っていて不在。そうすると二木さんが寝るのは2時前くらいか。一般論として、胃が食物を消化するのに必要な時間は確保できるだろう。
「ちょっと待ってて」
 立ち上がる。こたつを出るのは名残惜しいけど。
「なに? どこか行くの?」
「軽い夜食の準備にね。こんなこともあろうかと思って、用意してあったんだ」

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 レジ袋たっぷり2つぶんの荷物を抱えた僕を見て、二木さんは目を丸くした。
「いったい何をするつもりなのよ?」
「まあ、見ててよ」
 袋の片方には、カセットコンロとカスボンベ。こたつの上に手早くセット。
 もうひとつの袋には、蓋をした鍋。
 そのままコンロの上に置くと、蓋を取る。
「うどん?」
 中を覗き込んで二木さん。
 その言葉通り、鍋の中には、うどんの生麺と卵にかまぼこ。ネギがないのが寂しいけれど、野菜を買いおく習慣がないので、それは仕方がないところ。
「ま、簡単な鍋焼きうどんだね」
 具材を下ろして、鍋を持って立ち上がる。そのまま廊下に出て、調理室で水を張って部屋に戻った。そんな僕のほうを、二木さんが興味津々とばかりに見ている。
 鍋をコンロに置くとガスボンベをセット、点火。めんつゆを注いで削り節を放り込む。量が少ないから、いくらもたたないうちに鍋は沸騰しはじめた。タイミングを見計らって、うどんとかまぼこを投入して蓋をする。
「二木さん、お椀と箸お願い」
「うん」
 差し出されたそれを受け取ると、卵を割り落として、かき混ぜる。
 鍋焼きうどんのキモは、普通のうどんよりもしっかりと茹でることだ。そこにこの溶きを流し込めば、それで結構いける夜食になる。真人とふたりで考案した(……というほどでもないか)、手軽さとボリュームとコストパフォーマンスのバランスの取れた一品だ。
 4分ほどで蓋を開けると、ふわりとだしの香りが広がる。ふう……と二木さんが息を漏らす。やっぱりおなかが減っているみたいだ。
 溶き卵を入れてざっくりとかき混ぜ、まだ蓋。それから2分とすこし。二木さんは冷静なふりをして、待ちきれないとばかりに目を輝かせている。ように見える。じっと我慢の子であった、というやつだ。自分で用意しておいて何だけど、味覚がちょっと(いや、かなりか。本人には言わないけど)子供っぽい二木さんには、直撃の味なんじゃないだろうか。

 さて、満を持して蓋を取ると、いい具合に鍋焼きうどんが完成していた。慣れた作業だから間違いようもないのだけれど。
「さ、どうぞ」
「いいの?」
「もちろん」
 箸を鍋にのばして二木さん、最初は慎ましやかに2,3本を摘むと、ふうふうと息を吹きかけてからつるつると啜る。どうだろう、と二木さんの方を伺うと、
「……おいしい」
 小さく云う。
「それはよかった」
 二木さんに倣い、僕も鍋に箸をのばす。一口……うん。茹で具合も好い加減だ。ちょっとやわいくらいがいいのだ。
 そうするともう、鍋が空になるまで時間はかからなかった。もしかして二木さん、真人といい勝負なんじゃないだろうか。

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「ごちそうさまでした」
 二木さんは律儀に手を合わせて云う。
「お粗末様でした」
 そう返事をすると、二木さんは、ふう、と満足げにため息。
「何だか満足しちゃった」
「そう?」
「このまま寝ちゃいたいくらい」
 それは珍しいことを云う。二木さんらしからぬ、と少し驚いた。が……それも良いかもしれない。ふたりとも、風呂はもう済ませてある。
「そうする? たまには」
「ううん……」
 二木さんは少し迷っていた。ちょっと押してみよう。
「鍋はこのまま置いておけば、明日の朝、雑炊になるよ」
「……それじゃ、片付けられないわね」
「そうだね」
 笑う。勉強する場所は鍋に取られてしまっているよ、という話だ。
「ごはんは冷凍庫にあるわ。それでいい?」
「もちろん」
「それじゃ……今日はこれでおしまいね」
「うん。たまにはゆっくり休もう」
 鍋に蓋をして、ふたり分のお椀と箸を持って流しに立つ。ぱっと洗って戻ると、二木さんは勉強道具を片付け終わっていた。僕から食器を受け取ると戸棚にしまい、あとは寝るだけと相成った。

「電気、消すわよ」
「うん」
 かちかちと灯りが落とされ、ふたりそのままベッドに入る。いくらもしないうちに、すうすうと寝息が聞こえてきた。

 その寝顔を見ながら、やっぱり疲れがたまってたんだなと思う。
 根を詰めすぎても続かない。うどんで気が抜けたのなら、想定外だけどちょうどいい。まあ、そんな頑張るところが好きなわけだけど、それなら支えてあげるのは僕の役目だ。
 もう少し、夜食のバリエーションを増やしてみてもいいかな、とぼんやりと考えながら、二木さんの寝息に誘われ、僕も眠りへと落ちていった。


冬は鍋の季節。そして鍋焼きうどんの季節です。

ところでこの展開だと、胃が食物を消化する時間が無くてこう――体重増加の可能性がありますね。二木さんは気づいてないみたいですが(笑)


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