大晦日点描

 直枝理樹は、寮の居室でひとり、『ゆく年くる年』を見ていた。寮には数名の寮生が残っているはずだけれど、その気配はまるで感じられない。人気のない寮は、いつもよりもずっと漠として巨大な鉄筋コンクリートの箱に思われた。そのなかで、自分一人がぽつりと生きているような感覚。

 それでも、僕は独りではない、という感傷を覚えるのは、きっと二木さんのおかげだった。
 こたつの上、蜜柑をひとつ取って皮を剥くと、一切れを口に放り込む。そしてケータイを取り出すと、未送信のメールを確認する。もうすぐ二木さんに送るためのメールだ。

 今頃、二木さんは、葉留佳さんや晶さん、家族と一緒に除夜の鐘の列に並んでいるだろうか。

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 二木佳奈多は、列の後ろから3割あたりのところに並んでいた。整理券は妹の持つ「72」。一家5人で一枚の整理券だった。
 燃える篝火の柔らかな熱と、ポケットに入れた懐炉で、結構暖かい。もちろん、真冬の真夜中という時間にしては、というだけで、長くここにいたいとは間違っても思わない。
 時計を取り出すような無粋はしない。その必要もない。除夜の鐘が鳴れば新年だし、いわゆるあけおめことよろのメールがきっと、今年は何通か届くだろう。そう思うと心も躍る。

 直枝も来ればよかったのに、とやはり思う。せっかくの一家団欒だから、と笑っていたけど、もう直枝は家族みたいなものだ。
 やっぱり明日は、うちに来てもらおう。そして一緒におせち料理を食べよう。これは私の我が侭だけれど、きっと直枝は笑って許してくれる。新年早々だけど甘えてみよう。そんなことを思う自分がいた。

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 棗恭介と棗鈴は、二木佳奈多と同じく、除夜の鐘の列に並んでいた。もっとも、違う寺院であったから、顔を合わせることもない。
 猫はこたつで丸くなる、の言葉通り、棗鈴は圧倒的な重装備だった。正確に述べるなら、上下がスキーウェアだった。どんだけだよと棗恭介は突っ込んだが、そうじゃなきゃ行かん、と物凄く行きたそうな顔をするので、結局好きにさせることにした。物凄い寒いのは確かだし。

「きょーすけ」
「ん、何だ?」
「おまえ、何をお願いするんだ?」
「お願い? 初詣のか?」
「とーぜんだ」

 まずは除夜の鐘を突くことしか頭になかった……が、それはすぐに思いついた。考えるまでもない。

「リトスバスターズのみんなが、無病息災、笑って楽しく過ごせますように、だ」
「おまえはいつも、そればっかだな」
「ああ。俺はずっと、それを願って生きてるからな」
「……」

 棗鈴は、なんだかビミョーな顔をしてみせたが、ひょっと妙に真剣な顔をして付け加える。

「それは、寮長もか?」
「天野か?」
「うむ」
「ああ……そうだな。あいつももう、リトルバスターズの一員だからな」

 即答ではないが、ほぼ即答だった。
 51パーセントの満足の顔で、棗鈴は頷く。

「ならいい」
「おまえ最近、妙に天野になついてるな。どういうわけだよ」
「しね、ばーか」

 年の瀬の寺院にまったく相応しくない罵声。かわいらしい女の子の声なのがせめてのも救いか。
 棗恭介は、やれやれとばかりに受け流す。棗鈴のいささか呆れ気味の顔には、あまり気がついていないようだった。

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 その天野元寮長は、実家のこたつで「ゆく年くる年」を見ていた。奇しくも――というにはあの番組の視聴率は高すぎるが――直枝理樹と同様だった。

「今年も終り、か……」

 ふと天野元寮長は呟く。それなりに長い1年だった。良いこともあれば悪いこともあった。でも、終わりよければ全てよし、それなりの幸せに天野元寮長は浸っていた。
 もちろん、時間はあまり残されていない。それは判っている。だからあーちゃん、年が明けたら勝負よ、と彼女は自分に言い聞かせた。よし。

「何だか気合いが入っていますね」
「あ、わかった?」

 同じくこたつに入っている、一回り年上の女性が微笑む。ショートカットだが、少し赤みがかってゆるくカーブがかかった髪は天野元寮長ととても似ている。

「『恋はいつだって唐突だ』」
「別に唐突ってわけじゃないんだけどね」
「じっくり腰を据えるのが、たぶんいいんですよ。特にあなたは」
「そう?」
「一見しただけでは、あなたの一番いいところは見えにくいですからね」
「ええー」

 天野元寮長は不満げに唸った。

「おねえちゃん、それって褒めてる?」
「褒めてますよ、もろちん」
「ならいいんだけどさ……はあ」
「大丈夫、見ている人は見ていますよ」
「棗君はどうなのかなあ……それこそ、わたしのことを見てくれてたら、奇跡みたいなものよ……」
「奇跡、ですか」

 女性は、ふと遠い声で言う。

「?」

 天野元寮長は頭にクエスチョンマークを浮かべた。女性はそんな天野元寮長に気がつくと、小さく笑った。

「あなたの棗君は、あなたの手の届くところにいる。そうでしょう?」
「え……うん、そうね」

 言葉の裏に、手の届かないところ、というニュアンスを感じ取る。そうではない、と直感した。

「……確かにそう。手が届くとこにいる」
「それなら、やるだけやってみるのがいいですよ。大丈夫、あなたは素敵な恋する乙女ですよ」
「恋する乙女って……」

 それには半ば自覚がある。素敵かどうかはさておいて。

「さしあたり、新年のメールですね。送るつもりでしょう」
「え、うん……そのつもり、だけど」
「頑張ってくださいね。狙うのは年明けの瞬間ですよ」

 電電公社へのDDoS攻撃を推奨するのはどうかと思うけど、たしかにそうだ。
 どうせやるなら覚悟を決めて。

「……ありがとう、おねえちゃん。送ってみることにするわ」
「それがいいですよ」

 言って女性は、ずず……とお茶をすする。私はポケットからケータイを取りだした。

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 そうして、やがて年が明け、幾通のメールが飛び交い、除夜の鐘が108つの煩悩を散らした。
 新しい春が来るまで、あと3ヶ月だった。
 いくつもの想いを秘めて、夜は更けていく。


 一足はやく大晦日。一区切りついた感じですね。

 そしてあの人登場。話し方、こんなでよかったかなあ。そしてホントにとーでもいい小ネタを仕込んだんだけど、果たして気づかれるかどうか……?


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