暗転

 息を切らしている自分に気づいたのは、男子寮の直枝君の部屋の前だった。どんだけ意識飛んでたんだ自分、とげんなりする。

 まあ、ブツは手渡したわけで、一応作戦としては成功、のはずだ。たぶん。もちろん、最終的な結果は判らない――もしかすると1ヶ月先のあの日まで判らないかも知れないわけだけれど。

 ともあれ。

 気を取り直して、コンコン、直枝君の部屋をノックする。

「はーい」

 声が聞こえて、扉が開いた。直枝君は私の顔を見ると、

「天野先輩……」

 と驚いたような声を出した。

「早いですね、ずいぶん」
「まあ、ね」
「その……あれはどうなったんですか?」
「渡してきた」
「ああ、それならよかった」

 直枝君、ほっとした表情になる。心配してくれてるわけだ。

「ありがとう。おかげさまでね」
「とにかく入ってください。お茶でも淹れますから」
「それじゃ、お言葉に甘えて」

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 ほとんど終業直後だというのに、直枝君の部屋は、一応、一通り片付けられていた。いそいそとこたつに潜り込んであたりを見回す。

「昨日のうちに片付けたの?」
「はい。みんな、すぐ来るだろうと思って」
「気が利くわね〜。さすがバスターズの次期リーダー」
「僕がですか!?」

 直枝君、目を丸くする。

「来年度になったら、ね。井ノ原君や宮沢君じゃ、務まらないでしょ、きっと」
「消去法ですか」

 何故だかほっとしたような顔で、直枝君。いいながらお茶を淹れてくれる。

「そんな顔しないの。直枝君は人を引っ張っていく力、あると思うわよ」
「そうですかね……」
「そうじゃなきゃ、寮長に推薦しないわよ。男子寮長氏もお墨付きだったし」

 しばしの沈黙。

 直枝君は何だか柔らかい顔をして呟く。

「バスターズは、恭介がいてこそですよ。就職しても、外国にいくわけじゃないし」
「……」
「まあその……みんながここにいる1年間は、みんなで楽しくやりたいなって思ってますけど」
「資格、十分じゃない」
「ですかね」
「私はそう思うわよ」

 十分に蒸らしたところで、直枝君がこぽこぽとお茶を注ぐ。

「いただきます」
「粗茶ですが」

 ずずっ、啜る。

 バスターズで饗されるのは、能美さん厳選のものだ。おいしくないはずがない。

 来年。あと一月半で、ここでの生活は終わるのか。

 ふう……、とひどく長く息を吐いた。力が抜けていく。

 チョコレートを渡して、何だか大層疲れた気がする。

 いや、慌てて逃げ出してきてしまったから――思い返すとあれはよくなかったのではないだろうか。

 でも、やるだけのことはやった。思い返してみると、本命だって明言してない気もするけど……さすがに通じるだろう。

 というか、あれで通じないんだったら、明言したって仕方がない。

 やるだけのことは、やったのだ……。

 やや苦笑気味に、直枝君がこちらを見て、立ち上がる。

「ま、みんなが来るまでゆっくりしていてください」
「そうするわ……直枝君は?」
「僕はちょっと、家庭科部室に」
「ああ、能美さんのアレね」

 なんだか能美さん一味は、やたらと巨大なチョコレートケーキを焼いていた。

「クド1人じゃ運べないと思いますから」
「それじゃ部屋番してるわ」
「お願いします」

 そう言うと、直枝君はこちらに背を向けて廊下へと消えた。家捜しをするつもりはもちろんないけど、一応信頼されてるのだろうか。かなちゃん共々、バスターズのみんなもだけど、いい後輩に恵まれたなあとつくづく思う。

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 直枝君の気配が消えると、急に世界はひどく静かだ。気温すらすっと下がった気がして、私は思わずこたつ布団に首を埋めた。

 こちこちと時計が音をたてる。澄んだ空気に音も澄む。こちこち、こちこち。暖かなこたつと、その外の大気の対比が、ひどく鮮烈だ。

 と、

 窓の向こう、外の通りのほうを、誰かが横切った気がした。ふと立ち上がって、少し曇った窓越しに姿を追う。

 見知った姿のような気がしたのだ。

 その姿は――やはり――棗君だ。パーティのために、ようやくやってきたのだろうか……?

 だが、

 心臓がばくりと跳ね上がった。

 神北さんが立っていた。その横にだ。

 何かをわたしている――受け取っている――?

 綺麗にラッピングをされたそれは、見間違えるはずもない、

 ふっ……と、気が、遠くなって、

 無様に尻餅をつく最後の視野のはしに、

 棗君の、とてもとても嬉しそうな顔が、

 映った。

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 そのあとのことは、よく覚えていない。

 顔を取り繕って、そのままパーティには参加したはずだ。

 それなりにいつもの「賑やかなあーちゃん先輩」だったとは思うけれど。せめてそう信じないとやりきれない。

 部屋に帰り、電気も点けずにベッドに倒れ込むと、顔面に張り付いた笑顔が皮肉げなそれに変わって、空に溶けた。

 溶け去る間際、それは私にこう言った。

 お前に勝てるわけがないよ、と。


 本作は恭介×あーちゃん先輩の話であり、みんなで大団円でハッピーエンドのお話であり、ついでに黒こまりん成分は一切含有していないことをここに明記しておきます。

 ちょっとつかれました。瀧川的には苦手な展開です。


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