THE BACKGROUND OPPOSITE Part II: 神ならぬ身の上

 矢張り誰かが云ってやらねばならぬと思いたったのは、3月3日、桃の節句の日であった。

 なにしろ桃の節句である。女たちだけで集会を開き、男にはとんと判らぬ会話を繰り広げる日だ。如何にバスターズと雖も、この日ばかりは男たちに出番はない。もっとも、5月5日、端午の節句はその逆であるから、これは取り立てて文句を言うところでもないが。

 ともあれ男どもには暇な日だ。なので俺は恭介を訪ねることにした。なにより、鈴があちら側にいるのが都合がよい。

 ホームルームが終わり、すっと席を立つ。普段と違う所作に気づいたか、理樹がこちらをちらりと見た。何も言ってはいないが、何かしらの用事があると判るだろう。真人は同じ教室にいるわけだから、その相手が恭介であることも察しがつくはずだ。思った通り、理樹はこくりと頷く。

 話がある、とメールで伝えておいたので、話はすんなりと通った。こうでもしておかねば、恭介はおそらく男祭りでも始めるところだろう。そうは問屋が卸さぬ。とにかく足を向けた先はグラウンドの先、川沿いの土手だ。

 俺もずいぶんと足早に来たつもりだったが、如何なる手を使ったか、恭介は、とっくの昔にここに来ていた、という顔で俺を迎えた。3年生とて、ホームルームはあるはずだ。そのあくまでも平静な顔で超人性を誇示するそのやり方に、慣れはしたものの、恭介自身の話をせんとしている時にその顔をされると些かの苛立ちはある。

「遅かったな」
「2年生は、3年生ほど暇ではない」
「これは手厳しいな……とにかく、どうしたんだ、改まって」
「天野先輩の件だ」

 すっと恭介の目が細められた。が、続く言葉の飄々とした口調は変わらない。要するにその口調は、最初から作りものだということに他ならない。

「珍しいな、お前がそういう話に口を出すなんて」
「天野先輩には借りもあるのでな。それでお前は、どうするつもりだ」
「随分と斬り込む」
「その積もりで来た」
「まあ……いいけどな」
「それで、どうする、お前は」
「……正直、考えてない」
「いい返事をする積もりがない、ということか?」
「いや、言葉通り、何も考えていないってだけだ」
「逃げているというわけだ」
「逃げる?」
「すべてがお前の掌のうちにあるわけではない。少なくとも、今はもう。釈尊を気取るのもいい加減にしたらどうだ」
「お前の見立てじゃ、俺は孫悟空ってところか」
「違うな、お前はただの人間だ」
「……」
「なあ、恭介」

 そう呼びかけ、俺はようやくそこで腰を下ろした。彼奴の隣に。

「神の視点を気取るのは、気分がいいか?」
「……」
「だが、言っておくがな恭介、そんなおかしなことはもう、終わったんだ。とっくの昔にな」
「だが、鈴はまだ……」
「それが烏滸がましいと云っている」
「……烏滸がましい?」
「ひとときとはいえ、神の視点を得たお前の不幸だ。お前は自分が何でもできると思っている。だが、鈴は一個の自立した人格だ。お前の人形ではない」
「そんなことは思ってない」
「本当にそうか」

 俺は横を向くと、恭介の目を覗き込む。深く、深く、深く。そこは未だに淀み閉ざされた闇だ。俺は静かに息を吐いた。誰の言葉なら、このヴェールを取り払うことができるというのだろう。

 俺とて、理樹が鈴と一緒になればよいと思っていた。だが、そればかりは理樹や鈴、そして二木の、彼、彼女たち自身が決めることだ。その分を越えるのは、神ならぬ身の上の為すことではない。

「お前と神北は、不幸なのかも知れんな」
「不幸?」
「それに気づけないというのもまた不幸だ」
「お前こそ、随分と偉そうに云うじゃないか」
「友人としての観察だ。神の視点ではなく、人としてな」
「それじゃお前の方こそどうするんだ」
「笹瀬川のことか」

 俺はすっと立ち上がり、流れる川面を見た。ゆく川の水は絶えずして、しかも元の水に非ず。

「笹瀬川はいい娘だ。おれは返事をしようと思っている」

 恭介は目を丸くした。予想だにしないといった顔だ。その顔に、俺は、今の俺ができうる限りの言葉を選び、投げかける。静かに、静かに。

「……見誤るなよ、恭介。俺たちの大切な友人たちのためにもな」

 返事はなかった。俺はそのまま踵を返す。行く先は剣道場。剣を振りたい気分だった。明鏡止水には程遠いにしても、心を澄ませて。


 補遺または蛇足その2。

 謙吾が浮かれてるだけという見方もできますな。


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