ホワイトデー(1):終わりの日々に

 胃の痛くなるような1ヶ月が過ぎ、朝起きたら私は毛虫になっていることもなく、3月14日の朝はごくごく当たり前に訪れた。

 3月にしては寒い朝だった。布団の暖かさにしばらくくるまっていたいような欲求に駆られる――が、そうすると一日仮病で寝ていてしまいそうな自分に気づいて、布団をえいっと跳ね上げた。ぶわりと空気が舞って、冷気の十字砲火が私を襲った。

 そのままもそもそと起きだして、諸々の用意をはじめる。自分の体なのに、なんだか動作が緩慢だ。そういえば、昨日の夜は寝付きがひどく悪かった。まあ、それはそうだろうなとは思う。

 まるで死刑執行の朝みたいな気分だ。

 自分と神北さんでは、自分に軍配が上がる可能性は――控えめに見積もって――ほとんどないだろう。ただ、その軍配がどのようなかたちで下されるのか、私には判らない。

 棗君は、私に何かを言ってくれるのか、あるいは、特に何事もなく一日が過ぎざるだろうか。できることなら、いっそばっさり斬って欲しい。時計が24時を回っても、今日はまだ終わっていないと僅かな希望に縋る、そんな無様は晒したくはない。

 考えても詮無きことか。なにしろ私は俎の上の鯉なのだ。あるいはシュレディンガーの猫(ちょっと違うかな)。

 慣れないテツガクテキ思考はきっと、現実逃避のたまものなのだろう。うん。

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 この時期になると、国立の前期試験はとっくに終わっていて、私立大もこの時期入試を行うところはほとんど無い。要するに、3年生の来年度の行く末は、ほとんど決まっている。ただ、国立後期狙いという極めてニッチでインテリゲンチャな層だけが論文対策面接対策と特別教室で缶詰になっているようだった。

 教室を見渡すと、卒業式の準備やら何やらで一応みんな登校してはいるが、学校というには学問の雰囲気は薄い。それよりも、何かしらの喪失感、或いはその予感と、派生する一種の軽い躁状態が教室を覆っていた。

 時間割は一応、4時間ぶっ通してのホームルームということになっていた。通常の意味での授業は、もう一切無いけれど、それでも諸々とこなすべきことはある。高校の3年間が終わるのだ。その後片付けのすべてをしなければならないのだから、それなりに大変だった。

 その雑用と事務作業と感傷のないまぜになった慌ただしさの中、私は完全に上の空だった。幾つかの書類を間違え、話を聞いていないのを注意され、しまいにはクラスの子に風邪でもひいたかと心配される有様だった。

 そんな私を棗君がどんな視線で見ていたかは知らない。怖くて目線が向けられなかった。

 ともあれ、午前中の諸々が終わり、ホームルームが終わり、本日の課程は終了となった。クラスの皆が三々五々に立ち上がり、それでも一応は授業中の雰囲気だった教室が、がやがやと放課後のそれに変わる。


 ダブルクロスで言うならクライマックス・フェイズに突入。

 続く。


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