ホワイトデー(4):ミッション・ポッシブル

 鈴からめちゃくちゃな勢いの呼び出し電話がかかって、階段を二段とばしに駆け下りて、グラウンドの脇の部室棟、間借りの野球同好会室に駆け込んだ。

「理樹!」

 僕の顔を見るなり鈴がほとんど泣きそうな顔で叫んだ。取り乱している。先ほどの電話の内容も殆ど意味不明だった。

「落ち着いて、鈴。なにがあったの?」

 言いながらちらりと見回す。鈴、小毬さん、それに……恭介。小毬さんは蹲って――泣いている。恭介はその横でまったく困惑したように立ちつくしている。

「恭介?」

 声をかける。

「ああ、それが――」
「おまえは黙ってろ馬鹿兄貴!!」

 鈴の激昂が会話を消し飛ばす。その勢いに息を呑む。恭介もだ。嫌な予感がする。だが、状況を理解してからだ。

「鈴、」

 できるだけ穏やかな声で話しかける。

「何かが起ったってことは判った。恭介が役に立たないのも判った。たぶん小毬さんもだ。それなら鈴、鈴が話してくれないと判らない」
「あ、その、あたしは……」
「分析は要らない。事実だけ話してくれればいい。何とかするから」
「じ、事実……?」
「そう。事実。鈴がその目で見たのは、なに?」

 混乱と興奮に彩られた鈴の目に、理性のいろが戻る。寮会の仕事のやりかたが、こんなところで役に立つとは。だが使えるものは使うべきだ。

 鈴がごくりと唾を飲む。そして、ひどく低い声で、ゆっくりと言う。

「寮長が、どっか遠くの方に走っていった」

 よし、端的な事実だ。だが、やはり――天野先輩が?

「ほかには?」
「それだけだ。それからみんなでわーってなって、特にこまりちゃんがたいへんで、とにかくここにきた」
「うん」

 3月14日だ。今朝の天野先輩のテンションは、いつもに増しておかしかった。1ヶ月前の顛末は天野先輩から聞いている。ちらりと机を見た。案の定、そこには、プレゼントらしき包装がされたものが転がっていた。

 3人とひとつ。天野先輩はその光景を見たのだ。そして『どっか遠くの方に走っていった』。

 これ以上この騒動に踏み込むなら、それ以外の色々なところに踏み込むことになる。どうする。

「理樹」

 はっとして顔を上げる。鈴がこちらを見ていた。

それは、恭介が持ってた」

 その顔は、不安に満ちてはいたが、明確な意思があった。踏み込む、ということだ。一瞬言葉に詰まる。鈴は続ける。踏み出す。

「寮長はたぶん、勘違いした。それは、あたし宛のだ。そうだろ、恭介」

 瞬時、僕は事態の全容を俯瞰した。その理解は、恭介の言葉でさらに確信へと変わる。

「ああ、そうだ……」
「他に用意したものはないのか」
「特には――ない」

 鈴の目に怒りが浮かんだ。

「おまえは、女の子を何だと思ってるんだ――!!」

「もしかしたら……」

 唐突に涙声がした。小毬さんだ。

「バレンタインの日に、りんちゃんのチョコレート、代わりに渡したの、見られてたかもしれない……」

 鈴がはっとして、それからすぐに青ざめた。

「どういうこと?」
「あの、あたしは……渡せなかったんだ。恭介に。そしたら、こまりちゃんが……」

 それは――最悪だ。だが、可能性としては、確かにあり得る。

「小毬さん、それは、どこで?」
「男子寮の、外で……」
「恭介、訊くけど、天野先輩とどっちが早かった?」
「え、天野と?」
「いいからっ」
「あ、ああ……たしか、天野にその、もらってから、寮に戻るまでのあいだだな」

 そのとき、天野先輩は僕の部屋にいた。そしてその位置だと、僕の部屋から見える可能性がある。十分にある。もしそうなら、本当に、最悪の最悪だ。

 こちらも真っ青のまま、小毬さんがふらふらと立ち上がった。

「わ、私、あーちゃん先輩を捜さないと……」
「こ、こまりちゃん!!」

 鈴が慌てて駆け寄る。阿鼻叫喚だった。そのなかで、恭介だけは、未だに困った顔をしたまま呆然としている。

 一体、どうしたらいい。

 そのとき、脳裏に――声が聞こえた。

『気が利くわね〜。さすがバスターズの次期リーダー』
『そんな顔しないの。直枝君は人を引っ張っていく力、あると思うわよ』

 いつか聞いた、天野先輩の言葉だ。そして僕はどう答えたか。

『まあその……みんながここにいる1年間は、みんなで楽しくやりたいなって思ってますけど』

 判った。なに、この場に居合わせたのが運の尽きさ。そう言う巡り合わせなら――これを何とかするのは、僕の役目だ。ポケットに手を突っ込んで、ケータイを取り出した。


 GO! バスターズ!!


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