ホワイトデー(5):たったひとつの魔法の言葉

 厳しい表情をして部室にやってきた二木さんは、開口一番、問うた。

「神北さん、これだけははっきりさせておきたいのだけれど」
「うん」
「あなた、棗先輩に対して思うところはないの?」

 小毬さんは黙って首を振る。

「そういうのは、ないよ」

 二木さんは恭介に視線をやる――視線の先の恭介の表情にも、変化がない。腕を組んで二人を交互に見て、二木さんは唸った。

 僕だって、なにかしら特別なものがあるような気はしていたのだ。恭介と小毬さんは。

 それが何なのか、ぼくたちには判らない。判らないような類の感情/結びつきなのかも知れない。

「それを、あーちゃん先輩に言える?」
「うん」
「嘘や隠し事なら、見抜くわよ。私と違って、繊細だから。それに、なにかあるなら、言ってしまった方がいいと思う」
「大丈夫だよ、かなちゃん。私もあーちゃん先輩を応援してるんだよ」
「おい、小毬……」

 恭介がそこではじめて口を挟む。が、二木さんが最後まで言わせない。

「あなたは黙ってて」
「……」
「神北さん、いいのね?」

 こくり、小毬さんは頷く。

 沈黙が場を支配する。

 と、ケータイが震える。音が響く。僕のだ。ぱかり、と開ける。西園さんだ。

「西園さん?」
『見つかりました』
「……見つかった!?」

 皆がこっちを向いた。ケータイのスピーカをONにする。

『はい。来ヶ谷さんが、裏山で」
「裏山? よく見つかったね」
『みんな、走り回っていますから。心配しているんです。町や駅の方まで心当たりを探したり』
「……ありがとう」
『仲間、ですから。それより、時間が惜しいです』
「わかった。あとで会おう」
『はい。それから、神北さんに――ありがとう、と』
「……」
『それでは』

 西園さんは短く言うと、ぷつりと通話を切った。ケータイを耳から離して、二木さんの方を見る。

「それなら……」

 二木さんが、ふっと表情を緩めた。

「行きましょう。私も行く。たぶん、二人がいいでしょう。直枝?」
「そうだね」

 二木さんがついていれば、天野先輩もそうそう逃げ出してしまうこともないだろう。それに、要するに――恭介と鈴は僕が何とかしろ、ということか。

「行ってくるね、りんちゃん」
「うん……」
「そんなに、心配しないで大丈夫だよ。それから、恭介さん」
「あ、ああ……」
「頑張って」

 絶句する恭介を背に、小毬さんは外へと出て行く。二木さんがちらりとこちらを見てからそれに続いた。


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 裏山を登って、町を見下ろせるところに、あーちゃん先輩は座り込んでいた。泣きはらした跡のある横顔は無表情で――足音に気づいたか、こちらを振り返って、驚きの表に変わった。私と神北さんの組み合わせが、そんなに意外だっただろうか。

「あーちゃん先輩、誤解を解きに来ました」
「ご……誤解?」
「神北さんが棗先輩に渡したのは、棗さんの――棗鈴さんがつくったチョコレートです。今日、棗先輩があれを渡そうとしていた相手も、神北さんじゃなくて、棗さんだった」

 事実を端的に告げる。数秒、あーちゃん先輩が目を大きく見開いた。

「そ、それじゃあ……」
「だから誤解だと言いました」
「ごめんなさい、勘違いさせちゃって」

 神北さんが頭を下げる。

「え、あ……こっちこそ、その……ごめんなさい、勝手に……」
「ちょっと、お話させてくれますか?」

 神北さんがそう言って、あーちゃん先輩の隣にすっと腰を下ろす。街を見下ろす。そのミニチュアじみた風景は僅かに橙色だった。夕焼けの時間が迫っていた。


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 部室、窓からそろそろ赤みがかり始めた陽が差し込んでいる。少し埃っぽい室内が、きらきらと綺麗だ。

「恭介は、どうするつもりだったの」
「何がだ?」
「天野先輩に対して。貰ったでしょ、本命」
「……」

 鈴が明後日の方向を向いたまま、こちらに一瞬視線をくれた。険しい視線だった。

「何か、応えないと。それがイエスにせよ、ノーにせよ」
「……」
「仲間でしょ。大切な」
「それは――そうだ」

 そう。恭介は、そこは一切迷わない。だけど、そこから先には踏み出さない。その理由が、ようやく僕にも判りはじめた。

「それじゃ、どうして」
「俺には――俺は、リトルバスターズが大切なんだ。他のことは、考えられない」

 恭介はいつもそう言う。だけど、きっと、それは正しいようで、違う。いや、その言明自体は正しい。だけど、今の恭介にとって、バスターズが1番なわけではない。それは言い訳だ。

 沈黙の中、鈴がふるえる息を吐いた。そして、こちらを向かないまま、押し殺した声で、言った。

「違うだろ」

「鈴……」

 恭介が表情のない声をだす。

「あたしだろ、恭介が気にしてるのは。そうだろ」

 それに恭介は応えない。沈黙が訪れた。


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「私、恭介さんとは、仲がいいと思うの」

 神北さんが話し出す。

「私と恭介さんだけが共有していることっていうのもある。でも、その……恋愛感情っていうのかな、そういうのじゃないんだ」

 あーちゃん先輩は黙って神北さんの言葉を聞いている。

「あのね、私たちは――りんちゃんのことが大好きなの。本当に、ただそれだけ。私と恭介さんは、ずっと……とっても長いあいだ、鈴ちゃんのことを見てたんだ」

 その神北さんの言葉は、事実とは僅かに違う気がする。私の理解では、神北さんがバスターズと行動を共にし始めたのは、せいぜい去年の春過ぎだ。だけど、神北さんの言葉は、事実とは違っていようと――あまりにも真実味があった。

「それが、私と恭介さんのつながり。たぶん、特別な。でも、私が見てるのは恭介さんじゃないんだよ」


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 沈黙がどれだけ続いたか、また口を開いたのは鈴だった。

「夏前には、恭介の心配はきっと、理樹とあたしだった。でも、理樹は立派になった。きっと、かなたのおかげだろう。それで、心配はあたしひとりになった。だからおまえは今もそうやっている」

 言葉を切る。ちらりと恭介のほうを見ると、

「そうだろ、恭介」

 呼びかけた。が、恭介は何も言わない。要するに鈴の言っていることは、間違っていないのだ。


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「それに、きっと恭介さんには、あーちゃん先輩が必要だと思うんだ。だから私、あーちゃん先輩を応援してます。恭介さんと、その……いい恋人になれると思うの」
「神北さん……」
「本当だよ。それは私にはしてあげられないことだから。」


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「ふざけるなッ!!」

 鈴がついに激昂した。

「いつまでも子供扱いするなっ! そんなんでどうするんだ! お前いなくなるんだろここからっ! それで週末ごとに戻ってきてあたしの世話を焼くのかっ! そんなんでお前むこうでやっていけるのか!!」

 叫びながら恭介に躙り寄ると、その襟首を掴みあげた。涙声だった。

「心配かけてるのはどっちだっ! 妹離れできてないのはおまえだろっ! 心配してるんだこっちは! そんなことまるで判ってないだろっ!! それなのにおまえは……何様のつもりだっ!!」


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「私は恭介さんの側にずっといてあげることはできない。りんちゃんも、きっとたぶんそうだね。そうなってほしいって恭介さんも思ってる」
「私に、できるかな……」
「大丈夫っ」

 神北さんは、例ののんびりした――それでいて確信に満ちた声で言った。

「恭介さんだって、ちゃんと気づいてくれるよ。ずっとあーちゃん先輩が見ていてくれたっていうこと」
「そうかな」
「そうだよ」
「そうだと……いいなあ」


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 鈴は相変わらず、恭介を睨め付けている。しかし、襟首を掴みあげられたまま、恭介は――ふっと表情を崩した。

「そうか……」

 それは泣きそうな声で……。

「いつの間にか……やり終えていたのか」

 そして、恭介はがくりとその場に頽れて――その伏せた顔から、嗚咽が聞こえてきた。


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 あーちゃん先輩が、ぴょこりと立ち上がった。

「ありがと、神北さん」
「友達、だからね」
「うん」
「頑張って。きっと、大丈夫だよ」
「当たって砕けろ、ね!」

 そして、ひとつ頷くと、

「行ってくるわ」
「うん」

 ひとり、足取りも軽く、丘を下っていった。


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 やがて恭介は立ち上がる。見るや、鈴が素っ気なく言う。

「大切な仲間なんだろ」
「ああ……当然だ」
「じゃあ、行ってこい」
「少しは目が、見えるようになった。言われなくても、そうするさ」
「どうだかな」
「サンキュな、鈴。それに理樹も」
「いいから行けっ!」

 鈴の罵声に、恭介はやれやれとばかりに頭を掻いた。ひどくすがすがしい顔だった。

「それじゃ、行ってくる」

 鈴は何も言わず、腕を組んで椅子に座り込んだ。それを見ると、恭介はひらひらと手を振って、部室を出て行った。


 理樹は恭介と鈴を、二木さんはあーちゃん先輩と小毬さんを見守る役に落ち着きました。

 当初の想定よりずっと脇役になってしまった感があります(笑)


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