卒業式の日には、野球をした。
何かを賭けた勝負とか、そういうものではない。ただただみんなでボールを追いかけて走り回った。
やがて夕暮れ時になり、日が沈み、大きめのファール・フライがどこに飛んだかわからなくなって、それで僕たちの試合は終わった。部室に戻り、缶ジュースでささやかな乾杯をして、僕たちはグラウンドを後にした。
僕の部屋に集まって、夕飯は恒例の鍋だった。トマト鍋、カレー鍋、トンコツ鍋にタジン鍋とあらゆる鍋に手を出してきた僕たちだけど、今日は水炊きというシンプルなチョイスだった。今期最後の鍋だからな、と買い出しから戻った来ヶ谷さんが猫のように目を細めた。たしかに、これ以上暖かくなったら、鍋はちょっとお預けになるだろう。夏が過ぎて、また木枯らしが吹く頃まで。
夜11時を回った頃、すこし会話が途切れたところを見計らって、葉留佳さんが「今日はそろそろお開きにしましょうや。恭介さん、明日は早いでやんしょ?」とおどけた口調でいった。少しだけ寂しそうな声だった。それを契機に、みんなは三々五々に部屋に帰っていった。最後の晩餐だった。
翌朝は早く起きた。
恭介と寮の入り口で待ち合わせると、町に向かった。カラスが鳴く声ばかりが朝の透明な空に響く。往来する人々はまだ少なくて、町全体があくびをしているような時間だった。
恭介とは、会話はなかった。ただふたり、黙って一緒に歩いた。
レンタカー屋について、手続きを済ませると、まだ眠そうな目をした店員さんがちょっと大きめの軽トラックに案内してくれた。二人分の荷物なら十分に載りそうな気がした。恭介は運転席に、僕は助手席に乗り。軽トラは走り出した。思い返してみれば、恭介の助手席に乗るのは、まだ2回目だった。
寮に戻ると、気の早い3年生たちが引っ越しの準備を始めていた。この時期の寮の風物詩だった。そんな中、真人と謙吾がいつもの格好で中庭に出てきていて、荷物の積み出しが始まった。
恭介の部屋の荷物は8割がた荷造りが終わっていて、段ボールの2、3箱と、あとは最後の日用品をボストンバッグに詰めて、冷蔵庫やらバラしたベッドやらが残るだけだった。重いものから順に、片っ端から運び出して、荷台に詰めていく。真人と謙吾の手に掛かれば、恭介の部屋の荷物が片づくのに半時間もかからなかった。3年間という時間にくらべて、あまりにもあっけなく。
それが終わった頃、女子寮の二木さんから電話が入った。天野先輩の荷造りがだいたい終わったというのだ。この時期だけの特例で、力持ちに限り、男子の女子寮への上がり込みが許されている。紳士協定というにはちょっと実際的すぎるけれど、それもまたちょっとしたイベントだ。
恭介がトラックに残って、真人に謙吾、僕、それから来ヶ谷さんで荷物を運び出した。これには一時間くらいかかって、なるほど女性は身の回りのものが多いものだと思って、何だかおかしくなった。
それで出立の準備は整った。
バスターズの皆が集まる中で、恭介と天野先輩が軽トラックの横に並んで立って、ふう、と息を吐いた。この朝が忙しいことは判りきっているから、昨日の夜までに、皆ぞれぞれに別れの言葉を交わしている。言うべきこと、伝えるべきことはもう、残ってはいない。
「それじゃあ、みんな、元気でやれよ」
恭介が変わらぬ調子で、飾らぬ言葉で言う。それから、一言付け加える。
「鈴もな」
鈴が頷く。
「お前もな、恭介」
「ああ」
そして、申し合わせたように笑った。とてもとても晴れ晴れしい、それは笑顔だった。
それから二人は軽トラックに乗り込んだ。恭介がエンジンをかけると、ぶるんと車体は震え、あーちゃん先輩がひらひらと手を振ると、クラッチが噛み、トラックはゆっくりと走り出した。
突如として、激情が襲った。
皆がトラックに向かって別れの言葉を惜しみなく投げかけている。そのなかで、僕は呆然と立ち尽くした。
恭介が乗ったトラックが、ひとつの季節が、僕の目の前を過ぎ去っていく。ゆっくりと、ゆっくりと、あまりにも早く。
その恭介が、一瞬だけ、僕の方に視線をくれた。どんな顔だっただろうか――それは今やもう、思い出すことができない。でも。
「恭介!」
口がひとりでに動いた。
「元気で!!」
僕の言葉が届いたかどうか判らない。トラックはそのままゆるゆると目の前を通り過ぎ、僕たちの目の前から去っていく。そして校門を出ると、門柱のむこうに、すうっと消えていった。
(完)
ここまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。
このあとのことはノーアイディア。ちゃんとかなたんに関した短編をもうちょい書くべきなのかもしれないと思ったりしますが、予定は未定かな。