本作には、リトルバスターズ!アニメ20話のネタバレ要素が含まれます

笹瀬川佐々美の流儀

(承前)

 笹瀬川佐々美は怒っていた。もちろん、かの傍若無人、棗鈴に対して、である。

 カツカツと踵がリノリウムを蹴る音が響く。放課後の女子寮だ。今日はソフトボール部の練習はない。仮にあったとしても、とにかく彼奴<きゃつ>を何とかする手段を講じねばならぬ。それが先決だった。

 二人部屋の扉を意識して静かに閉める。鞄を机に放ると、鼻息も荒く椅子にどすんと腰掛ける。額に手をやると、中指で眉間を2回たたく。大きく息を吸い込んでから、それを吐ききる。それで冷静さが戻った。

 さて――と思ったところで、がちゃりとドアが開いた。
「神北さん?」
 振り返らずに笹瀬川佐々美は言った。ルームメイトが部屋に入ってくる音くらいは聞けば判る。
「?」
 ほわんとした擬音とも声ともつかぬ音。
「さーちゃん、どうしたの?」
「相変わらず聡いですわね」
「うーん……見れば判るよ」
 それもそうか。右手を額から離して、笹瀬川佐々美は振り返る。にこにこ笑顔のルームメイトがそこにいた。
 そのルームメイトは、ちょこりと首をかしげてから、左手でごそごそと鞄を漁った。取り出したるはいくつかの小さな菓子包みだ。
「さーちゃん、チョコレート食べる?」
「神北さん、あなたね……」
 思わずなにかを言いかけるが、ルームメイトは笑顔のままだ。
「……頂きますわ」
「うん、それがいいよ」

 ともあれ年頃の女の子が二人でチョコレート……となると、お茶会の準備が必要だ。折りたたみ式のローテーブルを引っ張り出して、ポットで湯を沸かす。ちゃんとしたティーセットを使うのが神北小毬の流儀だった。
 ティーカップやティーポットを温めておいたり、少し手間をかければ、その少しの手間がおいしいお茶の時間になる――そうだ。笹瀬川佐々美も、それはそうだなと思う。一応、作法を習ってはいる。でも、この部屋ではルームメイトに任せきりだった。

 温かな湯気が立ちのぼるのをぼうっと見ている。そのなかに、いくつもの光景がうっすらと浮かぶ。謎のラップ男。宙を裂くA定食(お盆だけ)。ライジングニャットボール。蹴り飛ばされる猫。弱みを見せるわけにはいかない現状――。

「はい、さーちゃん」
「……?」
 気がつくと、目の前にティーカップが差し出されていた。
「ハーブティーですの?」
「うん、カモミールだよ」
「いい選択ですわね」
「〜♪」
 鼻歌で答えるルームメイトだ。いつものことではある。まるで頭の弱い子みたいだ。が――この娘は、信用に足る娘だ。特に、観察眼と口の堅さについては。

「神北さん?」
「なあに、さーちゃん」
 その答えは、まるで質問があることを予期していたようでもある。誘導尋問に引っかかったようで、内心苦笑いだった。
「棗鈴、あの娘、なにを考えているのかしら?」
「りんちゃん?」
「そうですわ」

 とにかく、事の発端はライジングニャットボール――いや、そうではない。そうではなく……後輩たちが猫を蹴り飛ばしてしまったことだ。あれが棗鈴のなにか――大切な部分、であったことくらい、容易に想像がつく。
 謝るタイミングを逃してしまったのはこちらのミスだ。
 が、そのあとの棗鈴のやりかたも、よくない。怒っているのは判る。こちらに落ち度もある。が、少なくとも、無関係の男子生徒を巻き込むようなやり方は、フェアではない。武士道精神に反する。

「あのときはどうしようかと思ったよ〜」
 無論、グラウンドでの対決のことだろう。
「後輩たちが悪いことをしましたわ」
「うん、そうだね……」
「やっぱり……棗鈴はまだ怒っているのかしら?」
「うーん」
 ルームメイトが首をかしげた。
「そんなことないと思うけど」
「そうですの?」
 それなら、あの悪戯の数々は何だというのだ――と口に出かかるのを、笹瀬川佐々美はなんとか止めた。神北小毬が、何か言いたげにしている。
「……」
「あのね、さーちゃん」
 チョコレートをこくりと飲み込んで、神北小毬が口を開く。
「昨日の夜、リトルバスターズのみんなで集まって、お茶会をしたんだよ」
「あら、そうですの」
 居場所があるというのはいいことだ、と笹瀬川佐々美はぼんやりと思う。
「それでね、りんちゃん、何を言ったと思う?」
「棗鈴が? 知りませんわ、そんなこと」
「当ててみよう〜」
 目を丸くして、笹瀬川佐々美はちいさく身を引いた。頭に浮かぶのは……自分の事ながら声が小さくなるのが判った。
「私の悪口……かしら?」
「ううん、はずれだよ」
 ほっとするのと、やはり意外なのと。
 しかし、そうしてみると状況が判らない。
「それでは、棗鈴は何を……?」
「あのね。『両思いになるには、どうすればいいのか』って」
「はあ?」
 笹瀬川佐々美は思わずアホっぽい声を上げた。

 カモミールティーに口をつけ、笹瀬川佐々美は憮然とした表情だ。
「それは一体、どういうことですの」
「だから、テヅカのことは、もう怒ってないっていうことだと思うよ」
「テヅカ?」
「あ〜、そうか。猫さんのことだよ。あの、このあいだの」
「ああ……」
 なるほどとは思ったが、そのネーミングセンスがどこからきたのか、まるで謎だった。

 それから笹瀬川佐々美は、棗鈴ことを考えてみた。割と動物的な傾向の娘だ。怒ったら怒るが、忘れるのも早いとみた。そうすると、もうまるで別のことを考えているのかも知れない。
 とにかく現状を把握する必要がある。
「それで、話の続きはどうなりましたの?」
「〜♪」
 返事は鼻歌だ。こうなるとこの娘は頑として口を割らない。だから信頼できる、のだが。
(ヒントはここまで、というわけですのね……)

 こうなると、棗鈴が一体何を考えているのか、もう判らない。
「それでも……」
 ひとりごちた。
 まず、テヅカのことは、謝らねばならない。こちらに非があるのは明らかだ。
 そのうえで――。もし、無関係の人間を――あのラップ男だ――トラブルに巻き込んでいるとしたら、誰かが叱ってやらねばならない。
 それに巻き込まれているのが自分だとすれば、自分にその義務がある。笹瀬川佐々美はそう考える。笹瀬川佐々美自身は知らない言葉だが、ノブレス・オブリージュというやつだ。それに、『すべてがひとしくミッション』の彼等に、きちんとした自浄作用があるとも思わない。

 面倒ごとではある。
 が、面倒ごとを引き受けるのも、慕ってくれている後輩に報いるためだ。

 と、その瞬間、

 バァン……!!

 と扉が開いて、声が飛び込んできた。
「「「佐々美様っ!!」」」
「あなたたち、もう少し静かにできませんの!?」
「「「す、すみませんっ」」」
 三人まとめてしゅんとなる。
「で、一体何事ですの?」
 またもや三人まとめて、がばっと顔を上げた。
「そ、それが……」
「棗鈴が……」
「佐々美様に果たし状を……!!」
「はあ?」
 差し出された紙を受け取る。

『グラウンドに来てほしい 棗鈴』

 一見して首をかしげる。果たし状と言うには、何か違う。直感で行くならこれは、何かの頼み事だ。さもなければ告白だが、これはないだろう。
 笹瀬川佐々美は、ふむ、と肯定的に唸った。
 いいタイミングだ。自分に対する迂遠なアプローチが、直接的なそれに変わったのだ。受けて立たない手はない。うまくいけば、それですべて解決できるチャンスなのだ。

 後輩がテヅカを蹴飛ばしてしまったこと。棗鈴がラップ男が巻き込んだこと。それらのトラブル。
 直接話すというなら、独りがいい。
 あの文面を見る限り、どうやら今の棗鈴は、話すに値するだろう。

 が。

「佐々美様……」
 ひとりが声を上げる。まるで臨戦態勢、開戦直前といったふうだ。
 やれやれとばかりに、笹瀬川佐々美は、ルームメイトの方を振り返った。
「神北さん」
「なあに、さーちゃん」
「申し訳ないのだけれど、後輩たちにカモミールティーを頂けるかしら?」
「うん、わかったよ〜」
 そして今度は、後輩に向き直る。
「あなたたちは、しばらくここで頭を冷やしていなさい」
「でも、佐々美様は……」
「まさかお一人で……!!」
「そんな!?」
「あなたたち、猫の一件、きちんと謝っていらして?」
 はっと三人組が顔を上げる。
「でも、そんな、猫くらいで……」
「興味がない人たちは、私たちのボールにもそう思うでしょうね」
 さすがに三人組も悟ったらしい。口を開くものはいない。
「とにかくこの場は私が納めます。後日見計らいますから、あなたたちもきちんと謝ること」
「「「はい……」」」
 三人そろってうなだれる。少し悪い気もするが、仕方がない。
「……神北さんのお茶はおいしいですわよ」
「お菓子もあるよ〜」
「任せましたわよ、神北さん」
「うん、任せられましたっ」
 それは心強い。冗談でもなんでもなく、そう思える。

 然り。よし……。

 笹瀬川佐々美は、軽く手を挙げた。
「神北さん、行ってきますわよ」
「うん、いってらっしゃい」
 ルームメイトの声を後ろに聞いて、笹瀬川佐々美は部屋を出た。
 そろそろ陽の沈む時間だ。
 グラウンドはきっとあかね色だろう。

(続)


 アニメ20話終盤。なぜ笹瀬川佐々美は独りで来たのか?――と考えて、思いついた話です。

 瀧川的には、ささかまさしみはこんな子のイメージ。


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