誕生日、寮会の春

 長期休みには実家に帰った方が親孝行――とは思うけれど、なかなかそうはいかないのが寮長ってもので。人には帰省を勧めておきながら、自分は寮に残るという二律背反にももう慣れた。

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 慣れた……つもりなのが、実際さっぱりそうじゃないってことが判明したのは、この2、3日のことで。

「どう、天野さん」
「いやぁ……」

 言葉を濁して半笑い、目の前の書類を眺める。
 我がホームグラウンドたる寮長室、その机の上ときたら、紙が数え切れないほど飛っ散らかって惨憺たる有様。

「大変です」
「大変ね」

 今日は私服姿の先輩――前寮長がやれやれとばかりに笑った。

「頭回ってる?」
「いやぁ……」
「その言葉の濁し方、さっきと同じよ」
「いやぁ……」
「重傷ね」

 今度は少し呆れ気味だ。まあ仕方ない。頭がオーバーロードしている自覚はある。このままでは摩擦熱で自爆するだけだ!
 先輩は机の上の紙とか紙とか紙とかをさらりと一瞥した。
 それから冷蔵庫を開けると、缶ジュースを取り出した。

「?」

 と、そいつが目の前に迫って、受け身をとる間もなく額に――

「うひゃっ!」
「少し頭冷やした方がいいわね」

 押しつけられた冷たさに両手を伸ばして受け取ると、先輩はすぐに机の上の紙を並べ替え始める。
 それを見ながら缶ジュースで頭を冷やす(そのままの意味で)。心地いい――っていうことは……やっぱり頭が回ってないのだろう。

「もうすこし手順を考えた方がいいわね」
「手順……ですか」
「そ、手順」

 話しつつも手は止まらない。まさにできる女。私とはずいぶん違う。こちとらみかんジュースを額に当てて、見るからにお間抜けな格好だ。

「いくらやることが多くたって、慌てても仕方がないからね。どうすれば効率よく片付けられるか考えてから始めるものよ。仕事は」
「はい……」

 確かに、慌てて手近なものから手をつけた。それが混乱の元、というわけだろうか。
 見る間に紙はいくつかの山に分けられて、きれいに整理されていく。

「こっちの山から崩していけば、なんとかなるはずよ。で、こっちの山が最後。部屋割りとか」
「部屋割りが最後ですか」
「そりゃあ、みんなの事情を判ってないと、できないでしょ?」
「その通りでありますお代官様……」
「いいけどね」

 さらりと流された。まさにクールビューティーだ。

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 あっという間に片付いた机に、先輩は腕を組んで、ふん、と満足の息を漏らす。
 それから冷蔵庫をまた覗いて、もう一本缶ジュースを取り出して、カシュ……と片手で開けてみせた。

「天野さんも飲んだら?」
「あ、そうですね」

 先輩に続いてプルタブをオープン。ひとくち啜ると、唇と喉がひんやりとした。

「……」
「お悩み?」

 ちらりと先輩がこちらに目線をくれた。

「いやぁ……なかなか」
「ふうん」
「自信なくしますよ。先輩が来てくれて助かりました」
「ま、大学がはじまったら、こうもいかないけど」
「ですよね……」

 私が今日から高校3年生ってことは、前寮長先輩殿は大学1年生だ。その違いが、まるで大人と子供に思える。

「ま、いいと思うわよ」
「……?」

 その声がなんだか上機嫌に聞こえて、クエスチョンマークを浮かべる。どう考えたって、トラブった後輩の面倒を見に来た先輩、という図にしかならないというのに?

「天野さんもいいとこあると思うわよ。だから」

 その指が伸びてきて、私の額をちょんとつつく。

「向かないところは誰かに任しちゃいなさい」

 にっこり、笑う。こちとら目を丸くした。

「いいんですか、それ……」
「適材適所に割り振るのも長の役目だからね」
「……」

 にしたって、あんまり頭が回らなさすぎる。

「例えば、1年の――ああ、もう2年か、二木さんとか」
「ああ、かなちゃん……確かにこういうのできるっぽい感じもしますね」

 そういえば、先輩に似てるところもある気がする。

「そうそう。そういうふうにね……気楽にやりなよ」
「気楽、ですか」
「上が泰然としてるのが大切。そういうの、できるでしょ」
「ええ、まあ……」

 泰然というか、おばさんくさいというか。

「私、そういうの苦手でね」
「そうなんですか?」

 そうだろうか。とてもそうは見えない、が……

「これでも苦労してたんだから。だから、あなたにもいいところあるって事」

 先輩が言うんだから、多分そうなんだろう……と思うことにした。
 先輩が信じる私を信じろ、ってやつだ。

「ま、辛いことがあったら電話でもしなさい。相談くらい乗るわよ」
「……はい、お願いします」

しぜん、頭を下げる――先輩がきょとんとして、それから声をあげて笑った。

「なんですか、それ……」
「いやね、天野さんがそんな神妙なのが……よっぽど大変だったんだなって」

 おいおい私ぁそんな非神妙的なキャラですか、と言いかけて――それを口にする前に笑いが漏れた。
 笑い始めると止まらない。どうしたことか私たちは、しばらく先輩と二人、けらけらと笑い続けたのだった。

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「じゃ、もう私、いくから」
「はい……ありがとうございました。本当に」
「また近いうちにね」

 先輩はそう言ってひらひらと手を振った。
 それから、思い出したようにかばんに手を突っ込んで――なにかを取り出してこちらに放った。

「うわっ!」
「誕生日プレゼント。ま、そんな感じで今年も一年、気楽にね」
「覚えててくれたんですか!?」

 受け取ったそれは……

「りらっくま……?」
「それ、私も好きなんだ」

 言いながら先輩はもう、校門に向かって歩き出していた。その影はそのまますぐに、校門の影に隠れて消えた。

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 残されたのはりらっくまだけだった。
 りらっくまね……。

「ま、そっかあ……」

 うん、とひとつのびをすると、右手のりらっくまがへにょりとした。
 こいつはお守りがわりに部屋に飾るとして……

「……かなちゃんに手伝い、頼んでみるかなあ」

 それもまた一歩、と私は思う。
 りらっくまが少しだけ笑った気がした。


 捏造設定たっぷりのあーちゃん先輩誕生日話。春休みは寮会、大変な時期だろうなあと。


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