with love from Far East to South Sea/クドリャフカの誕生日

 6月は、じめじめする。それに昼と夜で寒暖の差がおおきくて、昼間は長袖が少し邪魔に思えるくらいなのに、夜になれば上着を羽織ろうかとも思うくらいだ。
 春夏秋冬の四季とは言うが、それに梅雨を加えて季節が5つとしてもいいのではないかと思う。もしそうするなら、梅雨はきっと、誰にとっても一番鬱陶しい季節だろう。

 少なくとも、この極東の島国では、そうだ。

 東海地方に梅雨入り宣言が出たのが、つい1週間ほど前のことだ。
 さいきんの天気予報はそれなりに当たるもので、それ以来、はるか空に横たわる梅雨前線が、しとしとと、静かに、降り続く雨をもたらしていた。

 二木佳奈多は、手元のケータイをちらりと見た。
 目の前の窓には水滴がまだらに張り付いていて、そのむこうは一向にやむ気配ない雨だ。

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 何を伝えたらいいのかわからない、わけではない。
 と、思う。

 ただ、それをうまく伝えられる気がしないのは、この季節のせいだろうか。
「ふう……」
 頭を振る。自分の苦手を季節のせいにするなんて、ずいぶんとふぬけてしまったものだ。

 二人部屋だ。
 葉留佳が来る、という話もあったが、結局それはなしになった。
 クドリャフカがいつでも戻ってこられるように、という言葉に、葉留佳もまた笑って頷いた。
「たぶんそんなことにはならないと思いますけどネ!」
 でも、そういう問題ではなくて、彼女の場所は彼女の場所なのだ。ただそれだけのこと。

 そう――彼女が今いる場所のことを、二木佳奈多は考えた。
 赤道直下の、歴史の激動に取り残された島。

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 常夏のちいさな島だという。
 その宇宙軍の士官学校。
 もちろん、宇宙軍とは名ばかりで、それが小さな島国の虚勢に過ぎないことは誰だって判っている。
 それでも、宇宙を目指す熱意は、誰にも負けない――いや、それは失礼な表現だろが、しかし決して、この惑星<ほし>の星屑<スター・ダスター>の名に恥じぬものであることは間違いない。
 そして真上から照りつける太陽。
 小さな校舎――そう、白いモルタルで窓がたくさんの、風通しのいい教室だろう。
 海風かもしれない。きっとそうだ。
 教室は陽が差さなくて、少し涼しい。
 黒板にチョークの音。
 難しい数式だろうか。
 階段教室?
 その一番前の列の左の端、身を乗り出すようにして、でも教室の真ん中はなんだか恥ずかしい、と彼女は言うだろう。
 そうかな?
 もしかして、一番前の一番真ん中に陣取っているかもしれない。
 今のクドリャフカなら、あるいはきっと。
 こっちのことなど、忘れてしまうくらいに夢中になって……

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「遠いわね……」

 そう――遠い。
 そんな遠いところまで、しかし届いてしまうメールが、今はかえって余計なものに感じられる。
 いつか映画で見た、遠い昔の国際郵便<エアメール>なら、その距離を時間と外装が埋めてくれそうだ。でもそれは、さすがに時代錯誤というものだろう。

 近くて、遠い。
 こういうのは、やっぱり苦手だな、と二木佳奈多は思う。

『メールを送信しますか? はい/いいえ』

 機械的なその問いに答えられないまま日が変わるような予感もした。
 それも私らしいか、と些か自嘲気味に笑う。
 久しぶりの笑い方だな、と思った。
 そして、はっとした。
 普通の笑い方ができるようになっていたんだ……。
 そう思ったら、急に泣きそうになった。
 せめて、クドリャフカがいたときに――でも、それはもう遅いのだ。遠い。遠い――

      ――ぱあっ、と――

 ――二木佳奈多がはっと顔をあげると、窓の向こうにその光景はあった。
 ずっと遠くのほうの雲に、僅かに隙間ができていた。
 その向こうに眩しいものがあった。
 照らされて、きらきらと雨粒のレースが輝いている。
 思わず窓の外を見渡すと、寮と校舎のまわりだけに、まるでスポットライトのように陽光が当たっていた。
 天使の階段、という言葉を思い出す。
 その足元にいる、ということに二木佳奈多は気づいた。
 階段と言うにはいささかなだらかだが、しかし空に向かって伸びている……。

 そのとき自分が何を考えたのか、二木佳奈多は判らなかった。
 でも、気づいたときには、ボタンを押していた。

『メールを送信しました』

 素っ気ないそのメッセージがディスプレイに表示される。
 僅かな輝く雲間が閉じていく。
 まるで幻のように光景が消え去り、灰色の空と灰色の風景が戻ってきた。
 しかし、ケータイの表示は変わらない。

 二木佳奈多は椅子に深々と腰掛け、息を大きく息を吐いた。
 そして、ぼんやりと思う。
 届くといいなあ、と。
 たまにはそんなことを願ってみてもいい。
 その口元に、ささやかな微笑が浮かんでいた。
 二木佳奈多が、そのことに気づいたかどうかは定かではないけれど。


 『クドリャフカ、誕生日おめでとう。』


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