寮長といえど、一介の学生であるから、もちろん休暇には家に帰ってもよいのだ。
それでも、ふと冬休みに学校に居残ってみようと思ったのは、率直なところ気まぐれだ。
でも、敢えて無粋に理由を見つけるとしたら――やがて春が来れば私はこの学校を去る。
訪れることはできるだろうけれど、戻ってくることはできない。
そう思ったら、ふと、この場所で年を越してみる、というのを試してみたくなったのだ。
--------
1月1日、晴れた朝だった。
のびをしてベッドからもそもそ身を起こす。
暖かい布団の隙間から、冷えきった空気が入り込んでくる。
思わずぶるりと震えるが、それで起き出すのがコツなのだ。
――やっぱり、新年っていう実感はない。
夜は夜で、朝は朝。
冬休みは、2学期が終わって、3学期が始まるまでの、ぼんやりとした境界線だ。
でも、昨夜の「ゆく年くる年」では、どこかのお寺で除夜の鐘を衝いていた。
私の実感はともかくとして、新年は新年なのだろう。
--------
顔を洗って(水が冷たい!)、いつも通り程度の身だしなみを整えると、コートを着込んで外に出てみる。
昨日と変わらない朝の散歩だ。
特に行く当てはない。
行く当てはないが、誰もいない学校をふらふらと歩くのも、またいいものだ。
コンクリートの正面玄関から土の地面に下りると、足の裏の感触がすこしだけ柔らかくなった。
誰もいない、と言ったが、もちろん本当にだれもいないわけではない。
時折、そこここで人の気配がする。
先生の幾人かは教務にいるらしい。宿直室にも、もちろん。
部活で出てきている生徒らしき声も少しだけ聞こえる。
どうやら体育会のひとたちだが、個人練習らしく、かけ声は聞こえず、足が砂を蹴る音だけが澄んだ空気の向こうから聞こえてくるのだ。
あれは、2年生だろうか。
たぶんそうだろうな。
いかに体育会系といえど、3年生は、受験勉強で忙しい時期だ。
大会に出ることもない。
それは大学に入ってからの話で。
彼らとて今は、たぶん人生でそう何度ともないであろう、勉強の時間なのだ。
普段は縁の薄い参考書とノートを実家の机に広げて、うんうんと唸っているところだろう。
――忙しいのは、いいことだ。
忙しいあいだは、時が移り変わるのに気づかずにすむ。
ふとした時に来た道を振り返って愕然とすることもあるけれど、
今が充実していれば、過去のことは過去のことに過ぎない。
過ぎ去ったこと、なのだ。
だからこそ、と寮長は思う。
静かに流れていくこの時間を、感じていたい。
4月になれば、私は社会人だ。
聞くところによれば、ゆっくりとした時間、というのは、あまり手に入らなくなるらしい。
少なくとも、仕事に慣れるまではてんてこ舞い、だろう。
今でこそ、寮長、なんて泰然としたフリをしているけれど、寮会の仕事に慣れるのには、結局一年かかった。
器用な方じゃないのだ。
はあ、と息を吐くと、それは白く色づいて、冬の大気の中へ溶けて消えた。
ため息、ではなかったと思う。
かすかに笑っているように思えた。
「うん」
そんであればよし、とひとり頷く。
それに……冬が去れば、春が来る。
と思ったら、ふと、ああ、新年なのだ、という奇妙な実感が沸いてきた。
そうか、春が来るのか――。
なにかしらのうっすらとしたイメージが、私のなかにぽっかりと浮かぶ。
それは明確なかたちを伴わないものだが、あるいは桜の花のように、ちいさな灯のように、僅かな、でも確かなエネルギーが自分の中にあるのを、不思議にも確信した。
「さ……って」
頭の上で手を組んで、伸びをする。
今日はなにをするかな。
家庭科部らしく、なにか正月っぽい小料理でも作ってみようかな。
たぶん、「きょうの料理」に、それらしきものが載っているだろう。
校舎を一周したら、とりかかろう。
そう思って、歩き出す。
悪くない気分だった。
そんな、1月1日の朝。
あけましておめでとうございます。これを読んで頂いてる皆様、今年もよろしくお願いします!