焼きトウモロコシの焦げる醤油の匂い、


「今日一番のアタリだな!」
 そう喋りながら瑚太朗君が忙しく喰らいついているのは、人類史的なレベルでシンプルな食べもの、焼きトウモロコシだった。
「いやいや小鳥さん、このタレは人類の叡智の結晶ですぜ」
 差し出されてかじりつく。
「うおお……!」
「だろ?」
 焦げた醤油……だけの味では断じてない。
 砂糖、ミリン、酒、それに、もしかして糀味噌かなにか?
 いや、それだけではあるまい。
 看板を見上げる。
『焼きトウモロコシ 焼鳥屋×××秘伝のタレ!』
「やはり、ただものではござらぬか!」
「そういうこと。旨いって評判の焼鳥屋なんだ」
「道理で味わい深さが違うねえ……でも、なんで焼き鳥ださないんだろう」
 と、トウモロコシを焼いていたおっちゃんが、にやりと笑った。
「お嬢ちゃん、ウチの鳥は、お祭り価格じゃ出せねえんだよ」
「おいくら万円!?」
「大人になってから来な。損はさせねえぜ」
「アダルティ!」
「小鳥、トウモロコシもう一本、頼もうか?」
「いいね!」
「おっちゃん、トウモロコシ一本!」
「あいよ!」
 おっちゃんは、トウモロコシを秘伝のタレにどっぷりとつけると、炭火の網に乗せた。
 ジュッと小気味いい音がして、香ばしいにおいが広がっていく。

 収穫祭は大賑わいだった。
 瑚太朗君と回った去年の収穫祭よりも、いっそう人々の笑顔であふれているように思えた。
 端的に、幸せだ、と感じた。
 こんな幸せが、いつまでも続けばいいと思った。
 お祭りが終わっても、瑚太朗くんが隣にいれば大丈夫だと思った。
 あたしはこんな幸せな日々を、これからずっと過ごしていくんだ。
 何があってもそうするんだ……と決めた、
 その瞬間、
 突然、


 突然、
 空が、
 割れた。


 パリィン、という音があまりにも明瞭に響きわたった。
 反射的に見上げた空が、割れていた。
 空を覆うガラスがまっぷたつに割れ、東の空と西の空に分かれて落ちていく。
 その無惨な裂け目に、粉々になったガラスの断片がきらきらと輝いていた。
 いや、輝いているのはガラスの断片だけではない。
 ガラスの向こうには確かに青空が広がっているというのに、その砕けたむこうには――ああ、理解しがたいことに――漆黒の星空が黒々と蠢いていたのだ。

 その星空を仰いだまま、凍り付いた。
 本能が最大限のアラームをあげている。
 隣でトウモロコシを咥えたままの瑚太朗君が不思議そうな顔であたしに目をやった。
「どうしたんだ、小鳥」
 星空のあげる狂気の奔流の音を貫いて、その声が耳に届く。
 ギィィ、キィィィィィ……!!!
 おぞましいなにかが、空のガラスを、狂乱のリズムで引き裂いているのだ。
 空のガラスは、もう半ば以上、地平線へと沈み込んでいる。
 瑚太朗君には、それが見えていないのか。
 誰にも、みえていないのか。
 木々が秋のすこしひんやりとした風にそよいだ。
 枯れ葉がほんのすこし、舞い始めている。
 世界を覆う狂気のおとずれなど、まるで気づいてもいないかのように!
「小鳥、どうしたんだ」
 瑚太朗君の声が真剣味を帯びた。
「こ、こた……」
 思わず手を伸ばし、その腕をがっと掴んだ。
 力が入りすぎたかも知れない。
「おい!」
 瑚太朗君は私の両肩に手を置いた。
「大丈夫か? 何があった?」
 ふるふると私は首を振った。
 なにがあった?
 その問いが、瑚太朗君には名にも見えていないことの証明だ。
 顔に、焦りが浮かんだ。
「小鳥、ちょっと落ち着いて……」
 その声を、遮るように、
 激しくなにかが爆ぜる音がして、
 それはひどく甲高い音で、
 獣か鳥の叫び声のようで、
 見上げると、空を覆うガラスが完全にはじけ飛んでいて、
 頭上を覆うのは、完全な夜空で――
「――!!」
 違う!
 その夜空に、太陽が輝いている……!?
 まるで、月の大地に立って太陽を見上げているような――
 そう思った瞬間、
 あたしが立つ大地は、
 波のようななにかにかき消されて、
 気づいた時には、
 見渡す限りに広がる岩の沙漠が、
 あたしひとりで、
 立って、
 目の前に、
 彼女が――
 漆黒の服を纏って、
 銀の髪をなびかせ、
 赤いリボンをひらひらとそよがせ、
 悲しそうな目で、
 私を見て、
 何かを伝えようと、
「■■■■■■■■■」
 あたしは思わず叫んだ。
 暴力的なまでの濃密な意味の圧縮が、
 脳をぐちゃぐちゃにかきまわして、
 ああ、
 これが死か、
 と、ほとんど遊離したような冷静さが理解して、
 意識が消し飛ぶその一瞬、
 彼女が言ったことを、
 ほんの断片だけ、
 あたしは理解した。
「小鳥――あなたの記憶を――」
 記憶を、
 あたしの記憶は、
 そこで途切れて、
 途切れ、
 、


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