空を見上げて


 気がついたときには、あたしたちの目の前には荒漠たる月の大地が広がっているばかりだった。
 ただ、目の前には小さな緑の芽がひとつだけあって、それが篝なのだとわかった。

「……帰ろう、コトリ。ここにはもう、何もない」
「うん――そうだね」

 短く言葉を交わすとあたしたちは手をとった。ふわりと浮き、そのままあっという間に月は遠ざかっていった。

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 『機構』のオペレーションルームに戻ると、口には出さないが、誰もがとても心配してくれているのがわかった。
 あたしたちが『鍵』と接触した――ことは、明白だった。
 何があった、と問いたげな視線は隠しきれない。
 その視線は、疑う余地もなく、あたしに向けられているものだ。
 瑚太朗君はあたしの魔物だから、あたしが話さなければならないのだ。
 人間の魔物使いとして。
 でも、今宮さんは。

「――『旅』のことなら、抱え込むなよ。でも、ここで話す必要はない。誰かに相談、だな」

 その一言だけを口にすると、あたしに背中を向け、オペレーションルームを出ていってしまった。
 お母さんも津久野さんも、騎士団の人たちも、呆気にとられて言葉も出ない。それくらいにあっさりとした肩のすくめ方だった。

「だ、そうだぞ、コトリ」

 瑚太朗君がひょいと言った。

「オレも、コトリが……あれと何の話をしたのか知らないからな。話したけりゃ話してくれ」

 それから、少しだけ間をおいて、

「……『塔』にいく。羽を広げてくる」
「――物理的に?」
「そう、物理的に」
「なら、あたしも行くよ」
「そうか」

 ふたりして、歩き出す。
 お母さんたちの視線は気にしないことにした。

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 瑚太朗君の船体拡散実験は、もう地下のホールでも、石の町でも全く足りないので、『塔』に登って、そこから空のほうへと船体を浮かべることになっていた。
 頭上に浮遊大陸のごとく広がる瑚太朗君の体は、もう『船』と呼ぶにも巨大すぎた。それをなんと呼べばしっくりくるものだか私には分からない。
 接続されたリボンから、瑚太朗君の船体の情報はよく読み取れた。
 内部にはもう、人が生きていくための設備も整えられていて、瑚太朗君に乗せる必要がある魔物たちも地上で準備されていた。
 それでも、空気とか水の循環系は小さい魔物でまかなうのは難しいので、瑚太朗君の役割だ。
 それらはまるで、瑚太朗君のもうひとつの血液のように体中を巡っている。
 あたしたち人間を生かすための装置だ。

 あたしは、その巨大な瑚太朗君の下で、篝が見せた星々を巡る旅の記録を思いだしていた。
 その孤独の感触を、あたしはありありと思いだすことができた。
 孤独に寄り添ってきた篝が何を思っていたのかも、ありありと想像することができた。
 篝が、いわゆる人間的な感情を持っているかどうか、それは分からないことだけれど。

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 瑚太朗君もあたしも、何も言わないまま4時間が過ぎ、瑚太朗君の船体の稼働状況は全く問題なく、実験はつつがなく終了した。
 瑚太朗君の船体は最高で高度1000kmまで上昇していて、それは旧い時代でいうところの、スペース・シャトルの軌道よりも高いことになるけれど、瑚太朗君自体の大きさがもう全幅700kmを越えているので、存在感は圧倒的だった。
 その姿はもう、ほとんど空に浮かぶ星のようで、これ以上の極限環境適応試験はもう不要だろうと思われた。
 実際、『機構』の試験計画では、もう月までの試験航海が間近で、それが終わればもう、旅立ちの日がやってくることになっている。
 それなのに。

「お疲れさま、コトリ」

 しゅるしゅると『羽を納めて』あたしの隣に降りた瑚太朗君は――あまりにも、いつも通りだった。そう思った。
 淡々と、うすい笑顔さえ浮かべて、あたしの隣に立った。
 その顔を見て、あたしは、突然――自覚した。

「どうした、コトリ――」
「――!!」

 あたしはもしかしたら、なにかを叫んだかも知れない。
 でも、たしかなことは、ひとつだけ。
 あたしは流れる涙を拭うことも出来ず、
 瑚太朗君に背を向けて、その場から走り去ったのだ。


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