1.リトルバスターズ結成(2)


 夕食を終えると、何となく散歩がしたくなって部屋を出た。気がつけばもう10月。散歩をするにはいい夜だ。
 9月の少し遅い『修学旅行』から、もう1ヶ月が過ぎて、僕たちの手には以前と変わらない日常があった。
 朝起きて、みんなで朝ご飯を食べて、学校に行って、授業が終わるとまたみんなで遊び回る。今日の『バンド』だって、そういう楽しみのひとつだ。みんながいつまで続ける気か判らないけれど、しばらくギターとつきあってみてもいい。秋はまだまだ長いのだから。

 グラウンドに出ると、もう視界を遮るものはなく、空がいっぱいに広がって見えた。満天の星空と言うには街の灯りが邪魔だったけれど、それでも今日は星がよく見えた。
 ちょっとした土手になっているところに腰掛けて――

――青空を背景に、快音とともに飛び去る白球――

――一瞬、眩暈<めまい>がした。
 慌てて地面に手をつく。
 数秒、視界が戻る。
「なんだ……?」
 ナルコレプシーの症状とは、違った。そもそも、あれはもう――事故以来、縁がなかったはずだ。
「なんか、栄養バランス悪かったかな……」
 首を振る。そんな覚えもない。

 背後で、ざ……と足音がした。
 振り返る。
 振り返った先には月があった。
 その奇妙に大きな月を背後にして――女の子が立っていた。
「こんにちは、理樹君」
 彼女は言った。
 まるで月が喋っているようだった。
 そして……知らない子だった。
「君は……?」
「やっぱり、忘れちゃったんだねえ」
 妖しく微笑む。
「ま、あたしはノケモノだったからね。前も理樹君には酷い言われようだったし、仕方ないか」
 独りで納得している。
 だけどどうやら、僕の知っている子らしい。
「ええと……ごめん、その、名前が……」
「嘘はよくないよ、理樹君」
「嘘?」
「忘れちゃったのは名前だけじゃなくて存在そのもの、でしょ?」
 言葉に詰まった。
「口にした言葉は言霊になって力を持つからね。特に、忘れているとか忘れていないとか……そういうことは、大切にして。わかった?」
 なんだかわからないけれど……頷く。何か、大事なことを話しているということは判った。
「いい子」
 女の子はこんどは好意的な――であろう――笑顔で頷いた。
「ご褒美に名前を教えてあげる。あたしの名前は西園美鳥。聞き覚えがある?」
「西園……?」
 首を振る。知らない名前だった。
「まったく、その調子じゃ、あの子のことも忘れちゃってるみたいだね」
「あの子?」
「それは教えてあげるわけにはいかないなぁ。ごめんね」
「よくわからないんだけど……」
 頭を振る。いくつもの形にならない疑問が頭をよぎる。疑問……。
「あのさ」
「なにかな、理樹君」
「月って……こんなに大きかったっけ?」
 口にしてから、自分で首をかしげた。
「あ、いや……」
 何を言ってるんだ、僕は。これじゃまるで変な人だ。
 だが、女の子は……西園さんは頷いた。
「そうそう。イメージなんだろうけど、ちょっと大きすぎるよね、月」
「あの……西園さん?」
「その呼び方はダメ」
 急に真剣な顔をする。
「あたしのことは『美鳥』って呼んで」
「え、でも……」
 初対面の女の子を名前で呼ぶっていうのはなあ。
 が、その西園さんは顔を変えない。
「大切なこと。いい、『美鳥』。わかった?」
「……わかった。美鳥……さん」
 美鳥さんは声を上げて笑う。
「その呼び方も斬新だなあ。でも条件は満たしているから、いいか」
 それから――美鳥さんはくるりとステップを踏んで、僕に背を向けた。つまり、その……月に向かって振り向いた。そのまま言葉を紡ぐ。
「月が大きい理由、わかる?」
「り、理由……?」
「そう」
「その……勘違いとか?」
「ううん」
 留保的な反応だ。
「50点。半分正解だけど、赤点」
「じゃあ追試だ」
「即留年って手もあるけど」
「それはひどい」
「つまりね」
 美鳥さんは僕の抗議を無視して続ける。
「勘違いって言うのは、理樹君の勘違いじゃないんだよね。実際、理樹君には月が大きく見えているわけだし」
「……?」
「勘違いしてるのはね、理樹君。理樹君じゃなくて、この世界を造った側なんだよ」
「は……」
「わかる?」
「世界を……造った?」
「そう。何かがおかしい。でも、見ている側は間違ってない。そうしたら、間違っているのは世界そのもののほう――つまり世界の造り方がおかしいってわけ。論理的でしょ?」
「そりゃ……」
 論理的ではあるけれど……。
 くるりと、美鳥さんはもういちど振り返る。こんどは、僕のほうへと。
「理樹君、ね……」
 その顔は、真剣さと寂しさのあいのこのような顔だった。
 ゆっくりと口が開いて、美鳥さんは言葉を口にする。
「この世界は――偽物なんだよ?」
 飾り気のないシンプルな言葉だった。
 その意味を、僕は……まるで理解できなかった。
 だけどその言葉は、それ自身が不思議と真実味を帯びていた。美鳥さんが言っていたように、まるで言霊のように。

(続)


最後のセリフは、月屋さん(@tsukiya0)の同人誌『美鳥』をリスペクトして。


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