7.無限回廊(2)


 夕食が終わり、風呂に入り、部屋に戻り、布団に横になる。眠りはすぐに訪れた。夢もすぐに訪れた。悪夢だ。

 闇の中、天野がいた。
「何を企んでいる、天野」
「それはこっちのセリフだと思うけどね、棗くん」
「お前は何者だ」
「それもこっちのセリフだと思うんだけどなぁ……」
 天野は微笑を崩さない。それが棗恭介にはひどく不気味に思えた。
「お前が何かの意志を以てここにいるというのは、もう明白だ。お前は……」
 棗恭介は喋りながら考える。俺がこの世界にいるのは……
「お前も、あのバスに忍び込んでいた……のか?」
「あら、それじゃかなちゃんはどうなるの?」
「それにしても距離に違いがありすぎる。お前が学園にいながら、ここに干渉している……というのは考えにくい」
「まあ、そうでしょうね」
 あっさりと肯定され、棗恭介は内心驚く。
「でも、もっと他の可能性もあるわよ」
「どういうことだ?」
「私が主体的な意志を持っている保証なんて、どこにもないわよね、この世界で」
「つまり、お前は……お前自身が誰かの意志で動かされているとでも言うのか?」
 いわばその……ノン・プレイヤー・キャラクターとして?
「お前は……いや、お前の意志は、誰だ」
「さあ? まあそれもひとつの仮説だしね。わたしがバスに乗り込んでるのかも知れないわよ。たとえば、かなちゃんのバスに忍び込んでる。棗くんと同じように、棗くんをとっとと連れ戻すために、とかね」
 可能性はあるが、確認するすべはない。それなら……と棗恭介は頭を意識的にリセットした。
「……お前が俺の邪魔だてをするというなら……お前の正体如何に関わらず、お前を排除する」
「あら、こわいこわい」
 対する天野は笑顔を崩さない。
「棗くんのジャマをした覚えはないんだけどね、わたし。むしろアドバイスをしてあげてるつもりなんだけどなあ」
「アドバイスだと?」
「そ。判ってくれないのは寂しいなあ……」
 今度は本当に少し寂しそうに……恭介にはそう見えた。頭を振る。こいつは……
「なんのつもりだ」
「この世界では――繰り返せば繰り返すほど、感情が蓄積されていく。でも、経験は蓄積されない。要するに……ココロの変化は積み重なるけれど、アタマの変化は積み重ねられることなくリセットされる。そうね?」
「……」
「まあ、あなたみたいな『マスター』はともかくとして、直枝君や棗さんなんかは……純粋な『プレーヤー』は、そういう仕掛けになっている」
 棗恭介は考える。断言されたものを否定してもメリットはない。
「……そうだ。その仕掛けを利用して、理樹と鈴のを成長させ、二人が二人で生きていけるようにする……」
「その恋愛感情すら操ってね」
「操ってるわけじゃない。俺にできるのは、現実で可能な程度の誘導だ」
「同じことよ。繰り返しなんていう裏技使ってるんだから」
「――」
 恭介の沈黙に、天野は肩をすくめた。
「でもね、このやり方には2つ、穴があるわ」
「穴……?」
「そう。それがアドバイス。聞く気があるなら話してあげるわ」
「……聞くだけなら、聞いてやってもいい」
「あ、そういう態度」
 目を潜める天野に、恭介は少しきつめの視線を送った。
「まあ――いいわ。そうね、さっき2つの穴、って言ったけど……まずひとつは、『経験と感情が乖離していくこと』。繰り返しから戻った瞬間、直枝君や棗さんが経験していることと明らかに乖離している感情が、発生する。これは、繰り返しの回数が多ければ多いほど、その乖離が大きくなっていく……心の強さ、みたいな抽象的なものならともかく、恋愛感情となると、これはたぶん、本人たちにとってもかなり違和感が残るようになるはずよ」
「あの二人はもともと仲がいい。そこは問題ないはずだ」
「希望的観測ね。それからもうひとつ、こっちのほうが重要だけど……『感情の蓄積をリセットする方法がないこと』。何かよくない感情が発生した場合、それが蓄積されるのを回避する方法は、ない。要するに、棗くんはたった1回の失敗も許されない。そうとうシビアな条件ね、これは」
「それは一度……失敗しかけた」
「あら、そうなの?」
 意外そうにしてみせる。恭介には嘘のようには見えなかった。が、観察眼が足りないのかも知れない。
「だが、理樹はそれを乗り越えてみせた。ここまでくれば、そうそう大きな問題は起こらないだろう」
「そうだといいけどね」
「茶化しているのか?」
「本当にそう祈ってるわよ。でも、そうそううまくいくかしら?」
「邪魔をするなら――」
 呆れたように天野がため息をつく。
「だから、そんなことしないってば。わたしはただ、アドバイスをしにきただけなんだから……でもま、今日はこの辺にしときましょうかね。棗くん、なんだか怖い目してるし」
「……」
「頑張るのはいいけど、足を踏み外さないようにね」
 そこまで話すと、天野はくるりと恭介に背を向けた。そのまま歩き去ると、その姿はすぐに闇に溶けて消えた。
 足を踏み外す……、ね、と棗恭介は思う。
 俺は俺の足場に立っている。外道かも知れないが……俺の道だ。踏み外しているとは、思わない。

(続)


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