10.西園美鳥、村上春樹を酷評する


 西園美鳥は――少なくとも彼女は、自らをそう認識、規定していた――腕を組んで唸った。学校の屋上、本来ならば神北小毬の居場所であるはずのそこで。
 彼女の『双子の姉』西園美魚は、この世界からすでに消えた。二木佳奈多と三枝葉留佳の姉妹も、能美クドリャフカも。ある程度の権限を持っていたはずの神北小毬すら。そして『姉御』こと来ヶ谷唯湖は別の意味で消えた。自分を除けば、残っているのは棗恭介の一派と二人の主人公、そして自分くらいのものだった。
 この場所もずいぶんと寂しくなったものだ、と西園美鳥は空を見上げた。

 実のところ、西園美鳥に焦りはなかった。少なくとも、棗恭介が感じているであろう焦りと比べればずいぶん軽いものだと思う。これは楽観的な見方なのかも知れないが、西園美鳥の心をいくらか勇気づける考え方でもあった。

 笹瀬川佐々美のことを西園美鳥は考えた。この場所ではいくらか目が利く西園美鳥からすると、笹瀬川佐々美の辿る運命の可能性は奇妙でもあり、そして決定的に重要な意味を持つものだった。
 笹瀬川佐々美は、ことによると帰ってこないことがある。来ヶ谷唯湖はすでにそうなりかけているが、笹瀬川佐々美はもっと決定的だ。
 世界が造られたときに取り込まれ、世界が閉じるときに取り残される。
 字面にしてしまえば特段そのままだが、これは恐るべき可能性だった。

 えいえんのせかい、と西園美鳥は思った。

 たしかもともと棗恭介が使っていた言葉だが、その表現は妙にしっくりときた。

 まあ――と西園美鳥は留保的に思考する――そこは決して悪い世界ではないのだろう。そして手元に文庫本を繰る。彼女の双子の姉が残していったもののなかの一冊だった――

「しかしあんたはその世界で、あんたがここで失ったものをとりもどすことができるでしょう。あんたの失ったものや、失いつつあるものを」
「僕の失ったもの?」
「そうです」と博士は言った。「あんたが失ったもののすべてです。それはそこにあるのです」

――糞ったれ、と西園美鳥は思った。

 とにかくあの二人を、そんな世界の果てに押しやってしまうことはできない。西園美鳥はそう考えた。きっと西園美魚の考えも同じだろう。
 そして幸運なことに、棗恭介は行き詰まりつつある。だが、諦める気はそうそうなさそうだ。自分も頑固なら奴もなかなかだ、と西園美鳥は思う。それだけは認めてやってもいい。

 しかし、だからこそ……どこかで決着はつけなければならない。

 違和感はもう、十分に醸成されているだろう。そろそろ先手を打つタイミングだった。

(続)


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