11.重ねられた周回の果ての僅かな揺らぎ


 棗恭介に見つからないように動くのは、それなりに神経を使う作業だった。適当に身を隠すぶんには苦労はしないが、直枝理樹とコンタクトを取るとなると話は別だ。
 周回の数は忘れたが、とにかく今は11月。そろそろ枯れ葉が舞う季節だ。構内の様子も、随分と寒々しい。
 そんななかで、西園美鳥はグラウンドの木の下に無造作に座り込んだ。彼女のようにシートを敷くでもなく、紅茶の用意をするでもなく、だ。
 ふう、と一息つくと、西園美鳥はポケットから携帯電話を取り出した。『直枝理樹』。シンプルで飾りのないその登録名に、美魚っぽいなあ、西園美鳥は思う。それからメール作成画面を開く。右の親指がキーのうえを軽やかに舞う。

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 ぶるり、とポケットの中の携帯が震える感触で、直枝理樹は目を覚ました。
 放課後の教室に、バイブレーションの僅かな音が響き渡る。隣で寝ていた棗鈴が、むにゃむにゃと身じろぎをした。
 ボタンを押してメールを開くと、そこには見慣れない名前があった。『西園美魚』。
「にしぞの……みうお……?」
 口に出して読んでみる。だがその響きに覚えがない。もっとも、アドレス交換だけして、そのあと連絡を取らないひとというのはたくさんいるし、覚えがないアドレスが登録されていても不思議なことは何もない。

 だが、その本文を見ると、直枝理樹は眉をひそめた。
『大切な話があって、美魚の携帯を借りたよ。私は西園美鳥(覚えてる?)。グラウンドの木の下にいるから。誰にも知られないように来て』
 西園美鳥。知らない名前だった。だがどうやら、相手は自分のことを知っているらしい文面だ。
 大切な話? 誰にも知られないように? しかも差出人は女の子だ。
 ……まさかね?
 直枝理樹は少し鈴のほうを伺う。
 どちらにせよ――呼び出しに応じないのも失礼かなとも思うし、鈴を連れて行くわけにもいかない。
 音を立てないようにそっと席を立ち、忍び足で教室を後にする。

 その背後で棗鈴が顔を上げたのには、気づかなかったようだった。

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 メールの返信はなかったが、直枝理樹はすぐに姿を現した。そっと様子を伺う直枝理樹に、西園美鳥はにこやかに手を振ってみせた。
「来たね、直枝君」
「その……君が西園さん?」
「その呼び方は、ダメ」
 西園美鳥は、毎度の訂正を、今度も最初に済ませることにした。その呼び方はよくない。

 とにかく自己紹介と呼び方の訂正をして、西園美鳥はいつもの話を始める。この世界は偽物だ。
 直枝理樹の反応もいつもどおりだが……その驚きの度合いは、周回を重ねるごとに低減されている。
「……偽物?」
「そう。理樹君、自分の感情と、それに対する実感がずれている……と思うことは、なかった?」
 直枝理樹は押し黙った。くすくすと西園美鳥は笑う。
「あるんだ」
「……それを君に話して、どうするんだい」
「ヒントをあげられるかもしれない」
 まるで値踏みでもするように、直枝理樹は目を細めた。
「君の感情は、誰かによって捏造されている」
「捏造?」
「捏造といったら本人は否定すると思うけどね。でも、ほとんど捏造」
「……」
「君のどんな感情のことを言っているのかも、知ってるつもりだよ。女の子には話しにくい?」
「……!!」
「ビンゴ、だね。自分の恋心に違和感を覚える、なんて、ちょっとかわいそう」
「なにか……何なんだ……」
 直枝理樹は呻いた。そのとき――ふ、と西園美鳥の視線が動く。何者かをその視界にとらえた。
「そろそろ時間だね」
「え?」
「続きはまたあとで」
 まるで恋人にでもするかのような所作で、西園美鳥は囁いた。そして、後ろに一歩、たん、とステップを踏むと、くるりと背中を見せて、すうっと去っていった。
「何なんだ、いったい……」
 直枝理樹が呆然と呟く。

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 その様子を後ろから見ている視線があった。
 棗鈴。
 直枝理樹が首を振って、動き出そうとするのを見て――棗鈴はまるで怯えた猫のように地面を蹴った。

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 とにかく頭を冷やそう、と直枝理樹は思った。鈴はまだ教室で寝ているだろうか。そこに戻るべきだ、と。

(続)


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