12.対たる青


「見たことのない女――?」
 その兄の声はまるで氷の刃のようで、棗鈴は絶句した。
「それは、どこだ、鈴」
「あの、その……」
 どもった。がんばってその光景を思い出す。
「グラウンドの、木のした」
「――」
 そう言われて思い出す女の顔があった。西園美魚。だがあいつは……もうとっくにこの世界からいなくなっているはずだった。戻ってくる……というのも現実的ではない。棗恭介はうめき声を上げた。
「そいつは、理樹となにか……仲がよさそうだったんだな?」
 こくりと棗鈴が肯定した。
「なんだかその……漫画みたいなかんじだった」
 少女漫画的展開。耽美という意味では西園美魚の興味の範疇、その隣接領域くらいではあろう。
「鈴」
「なんだ……」
「そいつは青みがかった髪で、赤いカチューシャをしていたか」
 鈴が目を丸くする。
「当たりだな」
「どうしてわかった」
「カンだ」
 説得力を持たせることは最初から放棄しているような言い方だった。だが、次の問いは予想通りとは行かなかった。
「おとなしそうな奴だな」
「……?」
 首をかしげる。
「どっちかというと……いたずらっぽい子みたいな気がする」
「いたずらっぽい? 冗談を言うとかか」
「そう、なんかこう……ちょっと飛び跳ねてた」
「飛び跳ね……」
 何かが違う、と棗恭介の第六感が告げた。西園美魚では……ない? しかし、鈴のいう外見は、西園美魚のそれとあまりに一致して――

『理樹――悪いが、俺には信じられない話だ。俺の記憶の中にある西園は……』

――ぞくり、と背筋が震えた。あの時、俺はなんて答えた。何を思い浮かべて答えた。俺の記憶の中にある西園は……

「どっちかというと……いたずらっぽい子みたいな気がする」
「いたずらっぽい? 冗談を言うとかか」
「そう、なんかこう……ちょっと飛び跳ねてた」

 一瞬にして永遠のあをが、棗恭介の意識の中でスパークした。吐く息がほんの僅かに震えている。
「誰だか知らないが――お前か」
 ほぼ確信に近い呟きだった。氷点下だった。鈴が毛を逆立てた。
「恭介?」
「ああ……?」
 鈴の言葉に、恭介は何か不思議なものでも見たかのような顔をした。それから、ようやくまっとうな――比較的、だ――目にゆっくりと戻る。
「だいじょうぶか、おまえ」
 恭介は、ぽん、と鈴の頭に手を置いた。
「鈴、お前、その――女の子を見て、どう思った」
「? どういうことだ?」
「理樹と仲良さそうにしてたんだろ」
 そういうことか、と鈴が目を見開いた。それから、顔が赤くなる。
「うう……」
 こちらの進展はいい具合だ、と恭介は思う。
「鈴、そいつは俺の知り合いだ」
「え――そうなのか?」
「ああ、そうだ。お前をからかってるんだよ。でもまあ、自覚するにはよかった、か……?」
 その言葉はまるで茶化すようなふうに、鈴には聞こえた。
「じ、じかく……」
「まあとにかく、心配しないでいい。あいつは俺が……話をつけておく。な?」
 最後はまるで念を押すような言い方だ。
「わかった……まかせる」
 鈴は少しだけ迷って、そう答える。こいつはバカ兄貴だが……信頼はできる。特にこう――事態が深刻なときには。

(続)


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