20.世界


 自分の革命装置<レボリュートリック>を起動させるたびに、はらわたが煮えくり返るような怒りを抑えることができなかった。それでも、車内でびくりと身を竦ませる――くそったれ――理樹と鈴に、これ以上の余計な心の動きを植えつけてしまうわけには行かない。怒りは無理矢理に飲み込むしかない。何度も繰り返せば慣れはする。慣れはするが怒りの総量は増す一方だ。

 西園美鳥の詭計で、棗恭介の計画は大幅に狂っていた。打つ手がなくなっている。
 二人の心は既に、恭介に対する不信めいたものがしっかりと根を下ろしてしまっている。それでも棗恭介は、西園美鳥と接触するのは避けさせてきた。そう動かざるを得ない。そして、接触してしまった場合には革命装置<レボリュートリック>で時間を巻き戻す。これ以上余計なことをされてはたまらない。
 しかし、そんなことをもう何度繰り返しているかすらわからなくなってしまった。西園美鳥は二人に接触しようとし、棗恭介は時を巻き戻す。完全な千日手だった。

 自室のベッドに寝転がり、棗恭介は目を閉じた。目を閉じると闇が訪れ、闇が訪れるとの幻影が枕元に立つ。
「知ってはいたけど、棗くん、あきらめが悪いわね」
「……」
 いつもどおりに返事がないのを見てとると、天野はこれもいつもどおり、肩をすくめて見せた。ハリウッド映画のようなしぐさだった。
 それから、棗恭介に背を向けて歩き去ろうとして――ふと振り返って、言った。
「ここ場所はもう、行き止まりよ。判ってると思うけどさ」
「そんなことは百も承知だ」
 答えが返ってきたのが意外だったか、天野は足を止めた。
「それじゃ、どうするの」
「あいつらの俺への不信が問題なら――手はある」
「……?」
 天野が目をひそめた。
「天野、お前が何者かは知らないが、俺の邪魔をするつもりはなさそうだ。教えてやる」
「どういうことよ」
「簡単なことさ。誰かに対する感情が邪魔なら、その誰かを消し去ってしまえばいい。そうすれば、感情の存在する余地はなくなる
 ひょいと顔をあげ、天野はぽんと手を打った。
「ああ、そうか――直枝くんの恋心をリセットするときに使った方法と同じね」
 対象を世界から消してしまえば、その対象への感情もまた消える。道理である。
「……でも、棗くんが消えちゃったら、それこそ西園さんの思う壺じゃない?」
「そうだな。だから、俺は――計画を早めることにした」
 棗恭介は懐中時計を――革命装置<レボリュートリック>を取り出して、なにかのネジを捻った。
――ごお……、と音がした。懐中時計からではない。天野があたりを見回した。
 音は見る間に轟音になった。猛然と回転する無数の歯車の群れ、その音だった。世界が回る音だ。
 天野が眉をひそめる。
「ちょっと焦りすぎじゃない? 直枝くんと棗さん、大丈夫なの?」
「信じるしかない。との千日手を打ち破るには、他に手はない。そうだろう」
「そりゃそうだけど……はあ」
 天野はため息をつく。歯車の気違いじみた音の中で、妙にはっきりと棗恭介には聞こえた。
「後悔はないのね?」
「今更だ」
「ま、それもそうか」
 天野がやれやれと首を振った。
「結局、自分の思うとおりにやるしかないのよね、こういうことって」
「そういうことだ」
 棗恭介は覚悟を決めるように、ごく僅かに首を縦に振る。それから、革命装置<レボリュートリック>のスイッチを――いつもとは違うスイッチを押した。
 カチリ――
世界<ザ・ワールド>……!!」

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 暴走する機械音が書店に響き渡り、直枝理樹と棗鈴は肩を寄せ合って震えていた。
「理樹……何が起こってるんだ……!?」
「わからない……なんだ、これ……」
 その横で、西園美鳥が険しい顔をして天井を――その向こうの空を見上げていた。
「恭介くん……まさかこんな早く、見境なさすぎる……!!」
「美鳥さん、どういうことッ!!」
「ああもう!」
 西園美鳥は、まるでやけになったように叫んだ。
「棗恭介はね……!!」
 その叫び声が、鼓膜を突き破らんばかりの歯車に押し流されて、消えた――