31.混乱の拡大(3)


 来ヶ谷さんの結論はあまりに――受け容れがたかった。呆然として、呆然の次に自覚したのは……怒りだった。
 僕は、みんなとの恋愛を、もう明白に思い出すことができた。苦くもあり、甘くもあり……しかしそれらは、僕にとってかけがえのない、大切な物だった。それは絶対に間違いのないことだ。

 それが……練習台だって!?

「そんなことが……!!」
 沸々と胸の奥に珍しい感情が浮かぶのが判った。驚くべき事に、それは怒りだった。しかも、恭介に対する。なんてことだ、と直枝理樹は愕然とした。だが、自分が今抱えているこれは、間違いなく――怒りだった。

 鈴も、黙って唇をかんでいた。あの日々を、鈴も横で見ていたのだ。そしてリトルバスターズの皆は、鈴の友人だ。鈴にとっても、他人事では済まされることではないのだ……!!

「理樹君、鈴君」
 来ヶ谷さんの声に我に返った。
「君たちには今、2つの選択肢がある。このままこの世界に留まるか、それとも、現実に帰るか、だ」
「選択肢……」
「現実に帰れば、あのバス事故が待っている。恭介氏がみせた幻影よりも、恐らくは圧倒的に酷い現実だ。そして、この世界に留まれば、私はいなくなり、君たちも君たち以外のことを忘れ、永遠に二人で過ごすことになるだろう」
 はあ、と来ヶ谷さんはため息をついた。腕を組む。
「一応フォローだけしておくがな……恭介氏も、悪意があってこれを仕組んだわけではあるまいと思うよ。君たち二人にとっての最善、を恭介氏なりに考え抜いた結果だ。それがフェアなものかどうかは知らないが、少なくとも恭介氏は、君たちのことを本気で考えていたんだ」
 そこまで言うと、来ヶ谷さんは口を閉じた。それから、一言付け加える。
「さあ、どうする」

 鈴は俯いたままだった。
「あたしは……」
 声が途中で切れる。それから、僕のほうをちらりと見た。その表情は影になって、よく見えない。
「理樹が決めろ」
「僕は……」
 どうする、と考えて――右のてのひらがぐっと握りしめられるのが判った。
 みんなとの日々が脳裏をよぎった。小毬さんが、西園さんが、クドが、葉留佳さんが……来ヶ谷さんまでもが、僕に――僕だけに満面の笑顔を向けてくれていた。それらは、僕にとって確かに大切な日々だった。大切な記憶だった。きっと、彼女たちにとっても、だ。それを踏み台にするなんて、僕は……
「もし本当にそうだとするなら……僕は――恭介を一発殴ってやらないと、気が済まない」
 来ヶ谷さんが、表情を変えずに再び尋ねる。
「現実に戻れば、恐らく――死ぬぞ?」
 黙って頷いた。それでも、と僕は思う。
「そうか」
 来ヶ谷さんは淡々と僕の答えを受け容れた。
「ならば――行こう」
 その右手が煌めいた。あまりに眩しくて一瞬目を瞑り――目を開けたときには、その右手には、ぎらぎらと光る日本刀が握られていた。
 それを逆手に持ち――虚空に突き立てる。
 甲高い、何かがひび割れるような音がして、世界に亀裂が走った――。

(続)


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