32.対決(2)


 チェーンソーを金属に突き立てるような音と火花が散って、グラウンドを覆う空が爆ぜて吹っ飛んだ。
 棗恭介は思わず腕で目をかばった。だから、その声に反応するのが、ほんの一瞬遅れた。

「恭オォォォ介ェーッ!!」
 理樹――?、と思った時にはもう、棗恭介は襟首を掴まれ、地面に押し倒されていた。
 直枝理樹の顔は怒りに満ちていた。それが棗恭介にも判った。混乱が棗恭介を襲った。何に怒っているのか。俺にか。何故だ。そもそも理樹は何故ここにいる。ここにいるはずがない……!!
 が、直枝理樹の背後に来ヶ谷唯湖の姿を見つけて……棗恭介は状況を悟った。奴が理樹に干渉したのだ。そして理樹を永遠の世界から連れ出した……!
「理樹、待てっ!」
「何をだよっ!」
「お前は勘違いしている!」
「問答無用だっ!」
「くっ……」
 襟首を掴みあげられた。これではらちがあかない。

「真人ッ!」
 恭介が言うや否や、暴風じみたものが理樹を横殴りに吹っ飛ばした。地面に転がる理樹の横で立ち上がったのは、井ノ原真人その人だった。
「真人……!」
 理樹が飛び上がった――瞬時、真人がそれに組み付いた。
「理樹、俺は――筋肉だッ!!」
「離してよっ!」
「俺の話を聞けーッ!!」
 いいながら真人は理樹を抱えたまま横っ飛びに飛んだ。その数ミリ横を、かまいたちのような風が切った。ごろごろと転がりながら、真人が叫ぶ。
「来ヶ谷かッ!!」
「真人少年、私は強いぞ」
 刀を構え、再度来ヶ谷は地面を蹴った。避けるのは難しい――真人はその上腕をかざした。
「筋肉で刃を止められるか……!」
「させんッ!」
 キィィン!、と刃と刃が激突する音。
 間に和装が割って入っていた。
「謙吾少年、竹刀で日本刀と殺る積りか?」
「概念では負けんッ!」
 竹と鉄がギリギリと競り合い、火花が散る。

 その横で、理樹が真人を振り払おうともがいていた。
「離してよっ!」
「頭冷やせ、理樹ッ!」
「どっちがだよっ!」
「てめ……」
 言いかけた真人が突然、ふわりと浮き上がった。
「うおっ!?」
 そのままゆっくりと宙を舞うと――ドォォン! と地響きを立てて地面に転がる。
 砂埃の中で、声がした。
「『柔能く剛を制す』――って、知ってる?」
「てめえ……なにもんだ」
「そういえば初対面だったかな、真人くん。西園美鳥……お姉ちゃんのことは知ってるよね」
「西園の……妹か? 聞いたことねえな」
「そうだと思うよ。存在しないからね」
「言ってることがよく判らねえが……」
 真人が構えた。全身に纏った鍛え上げられた筋肉の巨体だ。
「……恭介の邪魔をするなら、容赦はしねえッ!!」
 低い姿勢で突っ込んだ。早い、が――西園美鳥はひらりとそれをすくい上げるようにすると――
「頭、使わないともったいないよ?」
 次の瞬間、真人はまたも派手にぶっ倒れていた。美鳥は呆然とする理樹を振り返る。
「早く行きなよ。鈴ちゃんが頑張ってるみたいだけど」
 直枝理樹は、はっと後ろを振り返った。鈴が恭介と組み合っている……!!
「ごめん!」
「はいはい、いってらっしゃい」
 毎朝の挨拶のように平然という美鳥の背後で、のそり――と巨塊が立ち上がった。
「まったく、しぶといんだから」
 そう言う額には、ごくごく僅かにだが――汗がにじんでいた。

「恭介っ! みんなをなんだと思ってるんだっ!」
「そういう場合かよっ!」
 恭介が鈴のハイキックをバックステップで避ける。2発、3発……当たらない。だが、避けるのも楽ではない。恭介の体勢が僅かにぐらついた。そこに直枝理樹が突っ込んだ。
「うおっ!?」
 横からの奇襲に恭介が吹っ飛んだ。理樹がその上にのしかかる。が、体格の差がありすぎた。恭介は軽々と理樹をひっくり返すと、逆に地面にホールドしてみせた。
「恭介ッ!!」
 理樹が叫んだ。体勢は不利だ。その叫びとは思えない。恭介が怯む。
「俺は……」
「うるさいバカ兄貴ッ!」
 鈴がその脇腹にタックルを決めた。ごふ、と恭介が息を吐く。その懐に鈴が手を突っ込んで――引きずり出したのは懐中時計だ。
 恭介の目がぎらりと光った。
「それは渡さん!」
 鈴の掌ごと、ぐわりと掴みあげる。空中に釣り上げられた鈴が思わず叫ぶ。
「痛いっ!」
「鈴ッ!」
 鈴と時計を奪おうと突っ込んできた理樹を左手でだけ吹っ飛ばす。
「理樹! 恭介っ!」
 鈴の無視して恭介は懐中時計のスイッチに鈴の掌越しに指をかける。
 その背後――
「この状況で革命装置<それ>を使っても、いいことないと思うんだけどなぁ」
「お前……!!」
 天野寮長が悪戯そうな目をして腕を組んでいた。片手をあごに当てる。
「もう、もとには戻らないわよ。これ以上いろいろ弄くっても、棗くんの思い通りにはならないんじゃない?」
 ぐ、と恭介が言葉に詰まった。理樹と鈴のこの感情がある限り、どの時点まで時を戻そうと、事態は混乱していくばかりだ。しかし――
 逡巡の一瞬、理樹が飛びかかった。
「ぐおっ!」
 恭介が鈴ごと吹っ飛ぶ。鈴は器用に空中で姿勢を変えた。
 ずうん、と恭介が仰向けにぶっ倒れる。理樹と鈴がその上にのしかかっていた。
 理樹は恭介の右手を両手で掴んでいた。その中には懐中時計がある。
「もうやめるんだ、恭介!」
「やめてどうなる! なぜ判らん、理樹ッ!!」
 ぐぐ、と恭介の指が動く。その力は恐ろしく強い。理樹の両手でも押さえられていない。指がスイッチに近づいていく――
『理樹くん、後悔はないのね?』
 突然、理樹の耳元から声がした。まるで隠しヘッドセットでもあるかのようだった。
 後悔――?
『時間がないわ。早く!』
 誰だ? 判らない。だが、後悔――そんなものは、
「――ないッ!!」
 理樹は叫んだ。
 その瞬間、激しい機械音とともに理樹の手が――そして恭介の手が、懐中時計が消し飛んだ。
 ぎゃあ、と恭介が絶叫する。
 激痛――だが、何が起こった!?
 理樹は背後を振り返る。そこには、今しも粉々に砕かれ、飛散している木材の破片があった。だ。その向こうに、黒々と光る銃口――

 パリ……と空のほうで音がした。理樹ははっとそれを見上げる。空にひびが入っている。そのひびは見る間に広がっていき、まるでプラネタリウムの空が崩壊するみたいに、空がきらきらと光る破片になって落ちてきていた。
「理樹ィィッ!!」
 恭介が絶望の声をあげた。
 その声が、怨嗟が、雪のように降る破片にかき消されていく――

(続)


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