世界にたったひとり残された女の子の、
 冬の日の幻想物語。


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作品コンセプト

動機

 ――失われたイメージ

ストーリー

 ――分岐点、矛盾、タイムライン

キャラクター

 ――ことみ、ゆきね、ゆめみ、汐


made by 瀧川 新惟, Cackleberry Works, 2005-2010.
E-mail:a.takigawa@lostwinter.info


CLANNADは、Key/Visual Art'sの著作物です。
CLANNAD: Lost "Winter"は、CLANNADをはじめとする各著作物の二次創作物です。

動機

失われたイメージ

 劇場版CLANNADの構成は、それなりに納得のいくものであった。
 汐ENDは、CLANNADの中でも最も中心核に位置するシナリオだ(と個人的には思う)。
 短い時間の中でCLANNADを表現するには、汐ENDにフォーカスした構成が最も適切である、ということは疑いの余地がない。

 だが、劇場版CLANNADが、CLANNADのエッセンスを全て表現しきっていた……と評することは、到底できまい。

 いや、そもそも、2004年4月に発売された、あのCLANNADですら、ある意味では、CLANNADのエッセンスを全て表現しきっていたとは言えないのではないか。

 実例を挙げよう。

  • 本編発売前に公表された、本編では一切言及されなかったイメージイラスト……黒いコートを着た渚が、雪野原に一人立っている図。
  • 本編発売前に発売された、CLANNADボーカルイメージアルバム:ソララド、特に、トラック5,6の極めて非現実的な詩(「クラナドの世界観を描ききる」のキャッチフレーズとはあまりに乖離している!)。
  • 伏線の欠片もない、あまりにも唐突な、汐ENDでの幻想世界の設定への言及。
  • 朋也が汐に買い与えたロボットと幻想世界のロボットの関係性のなさ。
  • TrueEnd達成後に唐突にタイトルに出現する少女と、「光見守る坂道で」におけるこれまた唐突なフォローアップ。
  • ことみシナリオで断片的に言及されるにとどまった、超弦理論。

 枚挙に暇がない。
 これらの断片的な不完全さは、そして、ある一定の方向を指し示しているように感じられる。

 それらは、一言で表現すれば、CLANNADのなかのファンタジィ。
 そしてそれらは、CLANNAD本編でも、極めて不十分な言及しかされていない。
 その理由、真相は、もはや闇の中だが……劇場版で、それらが完全に抹殺されてしまった原因は、劇場版ではなく、CLANNADという作品そのものにあったと言うことが出来るだろう。

 本作品は、それら、あり得たかもしれないCLANNADのファンタジィ要素を、徹底的に煮詰めた作品だ。
 本作品は、ある意味ではCLANNAD的ではないかも知れない。
 もしかすると、それは僕自身の妄想に過ぎない……のかも知れない。
 だけど、僕は……
 この作品は、紛れもないCLANNADの二次創作であると思っている。

ストーリー

分岐点

 この物語は、2004年11月、いわゆる汐ENDの途中から始まる
 朋也が汐をつれて『旅行』に赴き、路上で『雪』を幻視したあと。
 しかし、彼らが幻想世界に消える前。
 それが、この物語の分岐点となる。
 TVアニメならば、CLANNAD After Story 第21話「世界の終わり」終盤となる。

矛盾

 この物語は、CLANNAD本編といくらかの矛盾を持っている。
 主に幻想世界についてである。
 極端には未完成説もあがるようなこの幻想世界編について、中盤のロボットと少女の旅路はそのまま、その序盤と終盤を大きく変更することで、イントロダクションにあるようなイメージを実現させようと試みている。

タイムライン

 この物語は、大きく分けて2部構成になっている。
 ひとつは、2022年、22歳になった岡崎汐の物語
 そしてもうひとつは、1997年から2004年にかけての、岡崎朋也の友人達の物語である。

キャラクター

 この物語には、総勢50人弱のキャラクターが登場する。
 どうしても必要になった数名のオリジナルキャラクタを除いて、全てがCLANNADおよび関連作品からの出演となる。
 申し添えるならば、CLANNADのキャラクターは、全員が出演している。

一ノ瀬ことみ――宇宙物理学者。

「最初に少しだけ、理論的バックボーンをお話しするの」

 本作品で言及されるTOEは、他の物語のそれと同様に、架空のTOEである。
(当然だ。現実のTOEは、未だ完成を見ていない)
 ネットで調べた情報を、自分の理解できる範囲で――具体的には初等の線形数学の範囲、ということだが――噛み砕いたつもりではある。
 が、ミンコフスキー空間の数学モデルの辺りで理解を放棄してしまっては、ハードSFなど書けようはずもない。線形だし。
 それでもなんとか、ブレーンワールド仮説もどきに立脚したSFもどきにはなっているつもりだ。
 なにしろ、藤子・F・不二雄先生に言わせれば、SFとは「すこし、ふしぎ」な物語に他ならないのだから。

 CLANNADの話をすると、TOEという単語は、一ノ瀬ことみシナリオ終盤の演出に使われている曲名になっている。
 無論、これはTheory of Everything(万物理論、超統一理論、量子重力理論、まあ、何でもいいが)のことだろう。
 これは、作中で『紳士』が口にする、「世界がこの形を得る過程で剥がれ落ち、微細に封じ込められた次元、言わば『隠された世界』」への言及でもある。

 だが、CLANNAD本編においてこの話は、ここに出てくるだけで終わる。その後全く発展しない。すこし、ふしぎだ。

 本作品の特に後半において、一ノ瀬ことみの一人称で物語が進む部分がある。
 自分で言うのも何だが、かなり重要なポジションだ。
 彼女の、世界のまんなかに手を伸ばす姿なくして、本作品は存在しなかった。
 彼女こそが、紛れもない本作品の2人目の主人公である。

宮沢ゆきね――郷土史家。

「この町の伝承……あの『光』の伝承についての調査です」

 本作品において、あの「資料室」は旧校舎3階に位置している。
 なぜそんな微妙な設定変更を、と思われるかも知れないが、それは重要なことだ。

宮沢有紀寧
忘れられた資料室に籠もっている2年生。
学校のこと、町のことをよく知っている。
とても礼儀正しく、主人公のことを先輩と呼ぶ。

 CLANNADのキャラクター紹介からの引用である。
 驚くべきことに、学年以外に何一つ正しいことが書かれていない。

 もうひとつ、迂遠な傍証を挙げる。
 資料室の窓の外の風景のことだ。
 それと中庭のシーンの背景を見比べてほしい。
 それは流用されているのだ。
 如何に窓の外のことといえど、他にこのような背景はない。
 手抜きと言い切るべきか、あるいは……あれは、間際になって嵌め込まれたものなのだろう。
 元々は、あの資料室の窓の外の風景は、中庭ではなかった。
 その原因として想定できるのは……シナリオとの決定的な矛盾。
 そう。
 完成した宮沢有紀寧シナリオでは、資料室は1階に位置しないと成立しないのだ。

 「忘れられた資料室」は、1階ではないどこかに存在している。
 そこにいるべきキャラクタもまた、1階ではないどこかにある「忘れられた資料室」に存在している。

星野ゆめみ――先進実証試験用試作型マン・マシン・インターフェイス。

「お客様は、胡蝶の夢……という話を知っていますか?」

 planetarianは、小説版と読み合せてはじめて、その価値がある物語だと思う。
 キネティック・ノベル単体では無価値だ、というつもりはないが、敢えてそれでも。

 小説版は、当初、限定発売のオフラインヴァージョンの特典として書かれた。
 その特異な梱包による、通称「凸張り」である。

 限定の特典にしては、まるで限定すべき内容ではなかった。
 限定してよい内容ではなかった。
 なぜならばそれは、あってもなくても変わらないサイドストーリーなどではなく、外挿されることで本編を別の物語に生まれ変わらせる魔法だったのだ。

 内容については敢えて触れるまい。
 小説版と合わせて、珠玉のSF短編連作としてお勧めする次第だ。

 今ではこの書籍は、一般流通で入手可能だ。
 こればかりは、VA社の英断に感謝したい(売れないはずがない、という目論見ももちろんあっただろうが)。

 そして最後に、著者・涼元悠一氏のWebページで、氏本人の手による短編が公開されている。
 小説版からは、敢えて省かれた一節であるそうだ。
 キネティックノベル版、小説版と読み進めて、是非最後にこれを一読してほしいと思う。

岡崎汐――ヒロイン。

「……聞いてほしい話があるの」

 汐ルートの朋也と汐、それから彼らを取り巻く人間関係は、とても魅力的だ。
 彼らの話を書きたい、というのは、自分の正直な欲求としてある。
 そして、汐をヒロインに据えた話を……というのも、比較的よく聞く話
 それは明らかに、本作品の大きな一側面だ。

 汐ルートが、バッドエンド(すくなくともハッピーエンドではない)にしか至らないというのは、自分はまるで納得できない。
 あのルートで朋也と汐が得た絆が、そこにしか至らない。
 そんなことがあっていいはずがないのだ。

 敢えて、劇場版の出崎監督のインタビューから抜粋する。

「作っている途中で、『ゲームだと汐も死んじゃうんですよ』と教えられて『なんだと!』と言ってさ、怒ったよ(笑)」

 これを下敷きにすると、もう一つのインタビューも理解できようというものだ。

「『CLANNAD』をやっているときに、この子(ヒロイン)なんで死ぬの? って訊いたんです。
 そうしたら「ゲーム上死なないとね、泣けないんですよ」って答えられた。
 一見シリアスなんだけどさ、オレから見るとちゃんとした根っこがないんだよね」

 恐らくこの発言は、渚ではなく、汐に関する言及だろう。
 あの劇場版の直幸を書いた出崎監督が、渚が死ぬ理由について「根っこがない」などと言うはずがないと思う。

 そう。
 渚の死は朋也の物語の根幹を為している。
 だが、汐の死は、何の物語の根幹でもないのだ。

 なお、岡崎汐の描写については、先人のSS作家諸氏のものを大幅に参考にさせていただいている。
 我々CLANNADファンの、ある意味での共通幻想である岡崎汐のイメージを壊さないように、気を遣ったつもりではある。
(特に、汐が智代を「師匠」と呼ぶのは、あの作家さんへのリスペクトに他ならない。先に自白しておこう……)

参考情報

参考文献

  • CLANNAD[Key, 2004]
  • Kanon[Key, 1999]
  • ONE[Tactics, 1998]
  • planetarian[Key, 2004]

推奨音源

(主要なもの)

  • So-La-La-Do[Key, 2004]
  • So-La-La-Do append[Key, 2006]
  • 時を刻む唄/TORCH[Key, 2008]
  • memento[Key, 2006]
      (for "桜抒曲")
  • CLANNAD the movie OST[Frontier Works, 2007]
      (for "約束" and "megmel~frequency⇒e Ver.~")
  • CREID[SQUARE, 1998]

(主要でないもの)

  • Mabinogi[Key, 2004]
  • recollections[Key, 2002]